安全保障の主戦場は、陸・海・空・宇宙・サイバー空間を超え、人間の認知領域そのものへと広がりつつあります。国家や非国家主体がナラティブやイメージを巡って繰り広げるこの情報闘争は認知戦と呼ばれ、ウクライナ、英国、イスラエル・ハマス、台湾で相次いで実例が確認されているほか、日本もALPS処理水の海洋放出を巡る情報操作という形ですでに標的とされています。生成AIの発展がこの脅威をさらに加速させる一方、各国の対応は大きく分かれており、英国が法規制を強化する一方で米国は対策組織の解体が進むなど、方向性の分岐が鮮明になっています。日本政府は2026年5月、国家情報会議設置法を成立させ、認知戦を含む外国情報活動への対処を政府の最高司令塔機能として位置づける体制整備に着手しました。
サマリー
- 認知戦とは、対象の思考方法や情報処理の仕組みそのものを改変することに主眼を置く情報闘争で、攻撃側が低コスト・低リスクで実行できる一方、防御側は人間の認知バイアスという心理的深層に介入せざるを得ず、構造的に不利な立場に置かれます
- 認知戦の実務では、反射制御・アストロターフィング(草の根運動の擬態)・多層的心理攻撃・サイバー心理ハイブリッド戦という4つの戦術が並行かつ重層的に組み合わされます
- 生成AIの発展により、ディープフェイクによる映像・音声の偽造、個別最適化されたナラティブの大量生成、AIの学習データそのものへのナラティブ混入といった手法が確認されており、認知戦は「アルゴリズム認知戦」へと進化しています
- ウクライナ侵攻、2024年の英国サウスポート暴動、イスラエル・ハマス衝突、台湾総統選挙など、世界各地で認知戦が現実の社会的混乱や治安悪化に直結した事例が確認されています
- 日本もALPS処理水の海洋放出を巡り、中国起源とみられるアカウント群による科学的根拠を欠く情報の拡散を受け、官公庁や飲食店等への数万件規模の迷惑電話という実害が発生しました
- OECDの調査では、日本の中央政府への信頼度はわずか26%程度とOECD平均を大きく下回っており、この低い政府信頼度が認知戦への耐性を弱める構造的な脆弱性になっていると指摘されています
- 英国はオンライン安全法・国家安全保障法により外国干渉を優先犯罪に指定し規制を強化する一方、米国では言論の自由を巡る政治的対立から偽情報対策組織の解体が相次いでおり、対応の方向性が主要国間で分岐しています
- 日本政府は2026年5月27日、国家情報会議設置法を成立させ、内閣総理大臣を議長とする国家情報会議と、実務を担う国家情報局の新設を決定しました
整理表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 認知戦の定義 | 意思決定の阻害・同盟の弱体化・社会の分断・民主的制度の転覆を目的とした悪意ある影響力工作(NATO関連文脈) |
| 攻撃側の主な優位性 | 低コスト・低リスク、恒常的な展開が可能、帰属(アトリビューション)の困難さ、民主主義の開放性を逆用できる点 |
| AIによる高度化 | ディープフェイクによる偽造、個別最適化ナラティブの大量生成、AI学習データへのナラティブ混入 |
| 主な攻撃事例 | ウクライナ侵攻(2022年)、英国サウスポート暴動(2024年)、イスラエル・ハマス衝突(2023年)、台湾総統選挙(2024年) |
| 日本への攻撃事例 | ALPS処理水放出を巡る情報操作(2023年)、官公庁等への数万件規模の迷惑電話に発展 |
| 日本の政府信頼度 | 約26%(OECD平均39%を下回る、2024年Trust Survey) |
| 英国の対応 | オンライン安全法(2023年)、国家安全保障法による外国干渉の優先犯罪化、最大1,800万ポンドの制裁金 |
| 米国の対応 | GEC・FMIC等の対策組織が2024〜2025年にかけて相次いで閉鎖・解体 |
| 台湾の対応 | 反滲透法の整備、官民連携の「台湾POWERモデル」によるファクトチェック・プレバンキング |
| 日本の対応 | 2026年5月27日、国家情報会議設置法が成立、国家情報会議・国家情報局を新設 |
認知戦とは何か-情報戦との違い
認知戦という言葉自体は1990年代後半に提起されましたが、当時は広く普及するには至りませんでした。2005年のネットワーク中心戦に関する米国防省の文書で、認知領域が戦闘従事者の心や情勢認識などの無形要素を含む領域として定義されて以降、次第にその重要性が議論されるようになっています。
情報の流れそのものを制御・遮断することに主眼を置く従来の情報戦に対し、認知戦は対象の思考方法、行動方法、情報処理の仕組みそのものを改変することに焦点を当てる点で異なります。NATOの変革連合軍の関連文脈では、認知戦は意思決定の阻害、同盟の弱体化、社会の分断、民主的制度の転覆を目的とした悪意ある影響力工作と定義されており、人間の脳そのものを標的であり同時に戦いのための兵器とみなす考え方が示されています。
攻撃側が圧倒的に有利な非対称性
認知戦が有効な攻撃手段として機能する背景には、攻撃側と防御側の間に決定的な非対称性が存在します。
まずコストとリスクの比率です。軍事的な直接攻撃に比べ、極めて安いコストで対象国の脆弱化を図ることができ、物理的な即時報復を受けるリスクも低減されます。一方の防御側は常に後手に回るため、中長期にわたる干渉に対して有効な打ち手を見出しにくい状況に置かれます。
暴露による影響という点でも非対称性があります。工作活動が公に暴露されても攻撃側の効果は低下しにくく、むしろ介入の事実が明るみに出ることで政治体制の正統性に疑問が突き付けられ、混乱が持続します。対して防御側が正しい情報を発信しても、Web上の膨大な情報の中に埋没し、事象の一側面にすぎないと相対化されてしまいます。
対象の認識バイアスも攻撃側に有利に働きます。人間には自身の信念に反する情報を拒絶・再解釈する確認バイアスや、動機づけられた推論が働くため、客観的なファクト提示による訂正が困難な場合があります。攻撃側はこうした社会に潜在する歴史的対立や個人の思想的傾向に親和的な偽情報を流し、自発的な拡散を促すことができます。
このように、攻撃側は最小限のリスクで最大の戦略的効果を得られる一方、防御側は人間の認識バイアスや信念という心理的な深層に介入せねばならず、防御の難易度は極めて高いといえます。
認知戦の具体的な戦術分類
認知戦の実務においては、単一の手法を段階的に進めるのではなく、心理学、社会工学、認知科学、および最先端のIT技術を融合させた複数の戦術を並行かつ重層的に展開します。攻撃主体は対象国の世論を混乱させ、防御側の意思決定を麻痺させるため、主に以下の4つの戦術群を組み合わせて駆使します。
反射制御
相手に意図的な情報を与えることで、相手自身が自発的に、かつ自分の意志で決定したと錯覚させながら、結果として攻撃側にとって都合の良い行動をとるように誘導する手法です。攻撃側は客観的な事実そのものを全否定するのではなく、解釈の前提となる情報をコントロールし、対象国の指導者や国民に誤った情勢認識を持たせます。その結果、この状況下では防衛を諦める、あるいは妥協するのが最も合理的だと自己納得的に結論づけさせ、自発的に戦意を喪失させることを狙います。
アストロターフィング(草の根運動の擬態)
他国の工作機関が背後で関与・出資しているにもかかわらず、あたかも現地社会の一般市民たちが自発的に声を上げているかのように見せかける偽装工作です。大量の偽アカウントを用いて特定の主張や怒りのハッシュタグを一斉に拡散させ、あたかもそれが社会全体で燃え上がっている大衆の意志であるかのようにタイムラインを演出する手口がまず用いられます。この演出された世論に刺激され、既存の政治的不満を持っていた実際の市民やインフルエンサーがこれこそ民意だと同調し、自発的に拡散を始めることで、攻撃側は手を汚すことなく対象国の一般大衆の情動をデモや抗議、物理的な妨害行為へと連動させることができます。
多層的心理・言説攻撃(恐慌論・無能論の流布)
人間の防衛本能や心理的バイアスを突き、人々の精神を4つのレイヤーで揺さぶる手法です。まず認知攻撃として、大量かつ矛盾する偽情報やナラティブを多角的・継続的に浴びせ、人々の情報処理能力を飽和させて何が真実か分からないという認知疲労と政治的無力感を引き起こします。次に感情攻撃として、繰り返し見聞きした情報を真偽に関わらず正しいと処理してしまう真実の錯覚効果や、事実よりも感情を揺さぶる物語を記憶・信用しやすい人間の性質を利用し、恐怖や不安を刺激するストーリーを大量に流してパニックと絶望を煽ります。さらに信頼攻撃として、政府や軍は無能であり頼りにならないという不信感や、同盟国が有事に見捨てるという不信感を増幅させることで、社会と指導者、社会と同盟のつながりを切断します。最後に意志攻撃として、こうした恐怖と信頼の崩壊を通じ、抵抗は無意味であり妥協こそが唯一の生存ルートだという諦念を合理化させ、社会全体の防衛意志を内側から解体していきます。
サイバー心理ハイブリッド戦
情報空間における心理的な混乱や絶望を最大化するため、サイバー技術を情報操作と連動させる手法です。たとえば防衛機関や政府ウェブサイトへのサイバー攻撃で一時的なシステム障害を引き起こしインフラの脆弱性を印象づけると同時に、政府の防衛網は壊滅したといった脅迫的なデマをSNS上で同時多発的に流布し、国民の心理的恐怖を一気に高めてパニックを加速させます。
AIが変える認知戦-アルゴリズム認知戦への進化
生成AI技術の発展は、認知戦の破壊力を飛躍的に向上させています。従来の認知戦は手動での偽アカウント運用やプロパガンダ記事の執筆に依存し相応の人的リソースを必要としていましたが、現代の生成AIは人間と見分けがつかない対話ボットを自動で大量に運用し、プラットフォーム上に自律的かつ協調的に配置することを可能にしました。
具体的なメカニズムとして、実在する指導者の音声や映像を極めて自然に合成し虚偽の発言を捏造するディープフェイク技術、ターゲットとなるコミュニティの感情や文化的価値観を瞬時に分析し社会の分断線に沿ったナラティブを大量に自動作成する個別最適化技術、そして生成AIの学習データや検索・参照システムに誤ったナラティブを混入させる間接的な影響工作が挙げられます。台湾AI Labsの調査によれば、中国系のLLMに対して簡体字で地政学的な質問(台湾問題やチベット問題等)を行った際、回答の23.3%において中国政府の公式見解が無批判に反映されるという実態も報告されています。
世界における認知戦の具体的な攻撃事例
認知戦はすでに実際の国際紛争や社会的な危機の局面において、現実世界の情勢を決定づける強力な手段として投入されています。ここでは4つの代表的な事例を取り上げます。
ウクライナ-サイバー攻撃と心理戦の融合、そして迅速な対抗
2022年2月の全面侵攻に先立ち、ロシアは数か月前から、ウクライナ政府がネオナチに支配されている、ロシア系住民に対するジェノサイドが行われているといった、侵攻を正当化するナラティブを執筆・流布し、大義名分を世論に植え付けようと試みました。侵攻直前の2022年1月中旬には、ウクライナ政府のウェブサイト約70か所が同時に改ざんされ、市民に心理的な恐怖を植え付けるサイバー攻撃が心理戦と融合する形で展開されています。
侵攻開始直後の2022年2月26日には、ゼレンスキー大統領が国外に逃亡した、あるいは避難が進められているといった偽情報がインターネット上に広がりました。これに対し大統領本人は、自身のオフィス前でスマートフォンによる自撮り動画を撮影し、自分はここにいる、いかなる武器も置くつもりはないと発信することで、国外逃亡説を否定しています。さらに侵攻から3週間が経過した同年3月16日には、ハッキングされたウクライナのニュースサイトおよびテレビ局を通じて、ゼレンスキー大統領が兵士に投降を呼びかけるディープフェイク動画が拡散されました。この動画は頭部と身体のバランスが不自然であるなど技術的な粗さがあったこともあり数時間で偽物と判明しましたが、大統領はこれに対してもテレグラムを通じて即座に、我々は自国の土地と子どもたち、家族を守る、武器を置くつもりはないと発信し、動画の内容を否定しています。こうした指導者本人による迅速かつ直接的な発信は、公式声明以上に強く政府が健在であるという事実を証明し、ロシア側のナラティブを無力化する役割を果たしました。
ウクライナ政府はまた、侵攻前からディープフェイクの危険性について市民への注意喚起を進めており、侵攻後もテレビ局・SNSプラットフォーム・国防省が連携して偽情報を迅速に打ち消す体制を敷いていたことが、被害の拡大を抑えた一因とされています。
イギリス-2024年サウスポート暴動と起源不明のWebメディア
2024年7月29日、イギリスのサウスポートで発生した児童3人の刺殺事件をきっかけに、インターネット上で、犯人は前年にボートで入国した不法移民のイスラム教徒であり、英情報機関の監視対象リストに載っていた人物であるという、事実とは異なる情報が広く流れました。
このデマの発信源の一つとして注目されたのが、かつてロシア語のアカウントとして登録されていた経歴を持つなど、運営実態に不審な点があるWebメディアが掲載した不正確な記事でした。このメディアの背後に他国の工作機関が直接関与していたと断定できる確たる証拠は見つかっておらず、慎重な見方も示されていますが、この偽情報がロシア国営メディアや親ロシア派とみられるボットネット、さらに一部の著名な極右系インフルエンサーによって急速に増幅され、事件発生から24時間以内にX(旧Twitter)上で2,700万回を超える表示回数を記録したことが確認されています。
実際の容疑者は英国生まれでルワンダ系の家庭に育ったキリスト教徒でしたが、SNSの推薦アルゴリズムを通じてデマの拡散が止まらなかった結果、モスクへの抗議行動、移民収容施設として使われていたホテルへの放火、警察官への暴行など、イギリス全土に広がる大規模な暴動へと発展しました。起源の不確かな情報操作が、移民問題や経済停滞といった国内に元々存在していた社会的不満を刺激し、現実の治安崩壊にまで直結した事例として位置づけられています。
イスラエル・ハマス衝突-主要メディアを巻き込んだ情報戦
2023年10月7日のハマスによる奇襲攻撃以降、実際の戦闘と並行してインターネット空間ではかつてない規模の情報戦が展開されました。特に注目を集めたのがガザ地区の病院で発生した爆発を巡る報道で、爆発直後、複数の国際的な主要メディアが十分な裏付けを取らないまま、イスラエル軍による空爆が原因である可能性が高いとする内容を速報しています。
この報道は後に訂正・撤回されましたが、緊迫した戦闘初期の局面で第一報が瞬時に世界中へ拡散したことは、国際社会に大きな心理的動揺をもたらし、各国での抗議デモの激化や、ユダヤ人・イスラム教徒双方のコミュニティを巡る現実の緊張・混乱を助長する一因になったと指摘されています。あわせて、プラットフォーム上では過去の紛争映像やゲーム映像を戦闘の実写と偽って流用した投稿が大量に出回り、結果として大手メディア自体の報道への信頼性を揺るがす事態にもつながりました。
台湾-2024年総統選挙と対米不信ナラティブの周到な拡散
台湾は長年、中国による組織的な影響工作の最前線にさらされてきました。2024年の総統選挙に向けては、台湾の研究機関Doublethink Labが選挙期間中だけで1万629件に及ぶ不審な情報操作の事例を記録しています。中国側の主要な戦略は、直接的な武力による威嚇にとどまらず、台湾国内の生活苦や汚職、物資不足といった身近な民生課題をテーマにした、地域に密着した不満ナラティブを、非公式のアカウント群を通じて拡散させることでした。
とりわけ周到に拡散されたのが、米国は台湾を対中国の盾として利用しているにすぎず、有事の際には台湾を見捨てるだろうという、いわゆる疑米論です。TikTokを利用する台湾の若年層を対象にした世論調査では、親米的な政策がかえって中台間の戦争を招くと信じる割合が41.5%に達し、TikTokを利用していない層の31%を上回る結果が出ており、特定のSNSの利用状況そのものが世代ごとの認知バイアスの形成に影響している実態がうかがえます。中国は2026年に予定される台湾の地方選挙に向けても、統一戦線工作やサイバー任務部隊の設置を計画しているとの指摘があります。
日本を標的にした認知戦-ALPS処理水を巡る情報操作
日本もまた、日常的かつ組織的な認知戦の標的となっています。代表的な事例が2023年のALPS処理水放出を巡る情報操作です。日本政府が科学的根拠に基づいて実施した処理水の海洋放出に対し、中国起源とみられるアカウント群が科学的根拠を欠く恐怖ナラティブを大量に発信し、このナラティブは日本国内の官公庁、自治体、学校、飲食店等に数万件規模の迷惑電話をかけさせる実害へと発展しました。当サイトで既報の中国の対日ナラティブ工作でも取り上げたとおり、中国は必ずしも大量の偽情報だけでなく、日本人自身の発言を選択的に文脈化して自国の主張を補強する借用型のナラティブ工作も並行して展開しています。また、自衛隊員による中国大使館侵入事件のように、局地的な事象が認知戦的な波及効果を持つケースも確認されています。
こうした攻撃に対し、日本社会には構造的な脆弱性が存在します。OECDが発表した2024年の公的機関信頼度調査では、日本の中央政府を信頼すると回答した市民の割合はわずか約26%にとどまり、OECD平均の39%を大きく下回っています。政府への信頼度が低い社会では、有事に政府が拡散情報を外国の偽情報だと正しく指摘しても、国民がその指摘自体を疑ってしまう構造があり、政府への不信感そのものが情報操作の浸透を助ける温床になり得ます。
各国の対応と規制の分岐
認知戦や外国による情報操作・介入への対応において、主要国の方針は近年大きく分かれています。
英国は2023年10月にオンライン安全法を成立させ、SNSや検索サービス事業者に違法コンテンツのリスク評価と排除を義務付けました。国家安全保障法に基づき外国干渉を優先犯罪行為に指定しており、通信監理官(Ofcom)は違反企業に最大1,800万ポンドまたはグローバル売上高10%のいずれか高い方の制裁金を科す権限を持ちます。安全義務に関する虚偽報告等については上級管理職個人が刑事訴追の対象となる規定も設けられています。
米国では、言論の自由を保障する憲法修正第1条との兼ね合いから、政府による偽情報対策が国内政治の激しい対立点となりました。国務省の対策部門は2024年12月に閉鎖され、その後継組織も2025年4月に閉鎖、国家情報長官室傘下の対策センターも同年8月に解体されるなど、複数の対策組織が相次いで縮小・解体されています。選挙のデジタル支援を担う機関も大幅な人員削減を余儀なくされており、対応能力の低下が指摘されています。
台湾は外国勢力による選挙干渉を刑事罰で規制する反滲透法を整備する一方、政府が直接情報を検閲するのではなく社会全体で防衛する枠組みを機能させています。民間のファクトチェック団体や研究機関がメディア・SNSプラットフォームと連携して検証を担い、教育省が策定したメディアリテラシー教育を国民教育に組み込むことで、選挙前に想定される偽情報の手口をあらかじめ周知するプレバンキングも実践しています。当サイトで既報の台湾における中国系サイバースパイ活動を幇助した業者の起訴事案も、こうした情報空間を巡るせめぎ合いの一環として位置づけられます。
日本政府の対策-国家情報会議設置法の成立
日本政府は2022年12月の国家安全保障戦略で、意思決定を歪める偽情報への対応能力強化を打ち出していました。そして2026年5月27日、インテリジェンス体制の抜本的見直しとなる国家情報会議設置法が成立しました。当サイトで既報の国家情報会議・国家情報局の設置でも解説したとおり、外国勢力によるテロ・スパイ活動・サイバー攻撃に加え、SNS等を通じた偽情報の拡散、すなわち影響力工作・認知戦への対応が、この体制整備を後押しした主要なリスク認識の一つとされています。
新体制では、内閣総理大臣を議長とし関係閣僚で構成される国家情報会議が、重要情報活動や外国情報活動への対処に関する審議・評価を担う最高司令塔機関として位置づけられ、各省庁に情報・資料提供を義務付ける権限を持ちます。実務を担う国家情報局は、内閣情報調査室を発展的に解消する形で内閣官房に設置され、各省庁から集約した重要情報を総合的に整理・分析する機能を担う見込みです。
もっとも、現状の日本の対策は、拡散された個別の偽情報の真偽を確認する事後のファクトチェックに重きが置かれがちだという課題も残ります。一度形成された誤った認識は、後からの訂正報道だけでは完全には払拭できないためです。今後は、想定される攻撃手口をあらかじめ国民に共有しておくプレバンキング、単なる否定にとどまらない説得力のある修正ナラティブの発信、そして平時からの行政の透明性確保を通じた政府信頼性の再構築という、事後対応から事前の備えへの転換が課題になると考えられます。
経済安全保障・リスク管理の観点から見た留意点
認知戦は政府や軍事組織だけの問題ではありません。ALPS処理水を巡る迷惑電話の事例が示すように、標的にされるのは特定の企業や業界であっても不思議ではなく、根拠のないナラティブが自社の風評やサプライチェーンの安定性に直接影響を及ぼすリスクがあります。特に、中国・ロシア・イランといった国家と関連するサイバー主体が、ハッキンググループとの緩やかな連携のもとで、サイバー攻撃と認知戦的な情報操作を組み合わせて運用している実態は、当サイトで既報の国家とハッカー・ランサムウェアグループの結託でも取り上げたとおりです。サイバー攻撃を受けた企業が、被害の事実そのものを利用した二次的な風評被害やなりすまし詐欺の標的にもなり得る点は、インシデント対応計画を検討するうえでも留意しておく価値があります。
自社や業界が地政学的に敏感なテーマ(環境・安全保障・特定国との取引等)に関わる場合は、平時から自社に関連し得る偽情報のパターンを想定しておくこと、そして風評リスクが顕在化した際の情報発信体制をあらかじめ整えておくことが、認知戦時代のリスク管理として現実的な備えになります。
出典
- 国家情報会議/国家情報局 設置へ 日本のインテリジェンスが迎える歴史的転換点 – セキュリティ対策Lab
- 中国の対日ナラティブ工作-人民網,CCTVが利用する日本の芸能人・議員の発言 – セキュリティ対策Lab
- 自衛隊員の中国大使館侵入事件が映す地政学リスク-局地的事象から波及する認知戦 – セキュリティ対策Lab
- 国家とハッカー/ランサムウェアグループの結託-ロシア・中国・イランによるサイバーグレーゾーン戦略と日本企業への示唆 – セキュリティ対策Lab
- 台湾、中国系サイバースパイ活動を幇助した業者2名を起訴-LINEアカウントを転貸し国際調査報道記者になりすます – セキュリティ対策Lab
- A deepfake video showing Volodymyr Zelenskyy surrendering worries experts – NPR
- Russian War Report: Hacked news program and deepfake video spread false Zelenskyy claims – Atlantic Council(DFRLab)
- Defiant Zelensky vows ‘I’m here’ after Russian attack – AFP/Malay Mail
- Far-Right Riots Fueled by Disinformation Proliferate in the UK After Stabbing Attack – The Soufan Center
- Did Russian disinformation fuel the Southport protests? – The Bureau of Investigative Journalism
- The UK Riots, Misinformation and Foreign Interference: A Smoking Gun or Something Else? – GNET
- Social media incentivised spread of Southport misinformation, MPs say – The Guardian
- デジタル紛争の新たなステージ:イスラエルとハマスの情報戦が示すサイバー戦の進化 – Newsweek日本版
- Artificial Multiverse: Foreign Information Manipulation and Interference in Taiwan’s 2024 National Elections – Doublethink Lab
- In a savvy disinformation offensive, China takes aim at Taiwan election – MERICS
- Assessing China’s Cognitive Warfare against Taiwan on TikTok – SPF China Observer
- 偽情報の拡散を含む情報操作への対応 – 外務省
- 国家情報会議設置法 – e-Gov法令検索
- Online Safety Act: explainer – GOV.UK
- NATO’s Concept of Cognitive Warfare – Puolustusvoimat








