G7、量子時代に備えPQC移行を要請 「今収集・後で解読」リスク、日本政府も2035年までの移行目標

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G7、量子時代に備えPQC移行を要請 「今収集・後で解読」リスク、日本政府も2035年までの移行目標

米国Cybersecurity and Infrastructure Security Agency(CISA)とG7 Cyber Security Working Groupは2026年9月3日、耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography:PQC)への移行を政府・企業へ求める共同文書「Preparing for the Post-Quantum Era: A Call to Action」を公表しました。

G7は、現在広く使われている公開鍵暗号を破れる「暗号学的に有意な量子コンピュータ(CRQC)」が実現する正確な時期は不明としながらも、移行準備を先送りすべきではないとしています。

背景にあるのが「Harvest Now, Decrypt Later(HNDL)」です。攻撃者が現在の暗号化データを収集・保存し、将来十分な能力を持つ量子コンピュータが利用可能になった段階で解読するという脅威モデルで、政府情報、機微な個人情報、企業秘密など長期間の秘匿が必要なデータでは、量子コンピュータの実用化前からリスクが始まります。

G7は、暗号資産の棚卸し、重要システムと依存関係の把握、リスクに応じた段階的な移行、サプライヤーとの調整、調達要件へのPQC組み込みなどを求めています。

日本でも政府機関等のPQC移行を原則2035年までに完了する方針が示されており、2026年度には工程表の策定が進められています。経済産業省も産業界向けに「クリプトインベントリ」の実証事業を開始しており、PQCは将来の研究テーマから、情報システム・調達・サプライチェーン管理の実務課題へ移りつつあります。

G7のPQC移行勧告のサマリー

  • 【確認済み】CISAとG7 Cyber Security Working Groupは2026年9月3日、「Preparing for the Post-Quantum Era: A Call to Action」を公表しました。
  • 【確認済み】G7は、CRQCの実現時期には不確実性があるものの、政府・組織にPQC移行を今から開始するよう求めています。
  • 【確認済み】現在収集した暗号化データを将来解読する「Harvest Now, Decrypt Later(HNDL)」を現在のリスクとして挙げています。
  • 【確認済み】将来の量子攻撃では、機密データの解読だけでなく、認証の破壊、信頼された主体へのなりすまし、データ偽造などが懸念されています。
  • 【確認済み】G7は、PQC移行に向けた5つの優先事項として、リスク認識、国家戦略、研究開発、官民連携、サイバーセキュリティ要件へのPQC統合を提示しました。
  • 【確認済み】組織には、暗号資産の棚卸し、重要システムの特定、依存関係の把握、段階的な移行計画の策定を求めています。
  • 【確認済み】G7の実務ガイダンスでは、経営層がPQC移行の責任と予算を持つこと、調達部門やサプライチェーン部門を移行チームへ参加させることを推奨しています。
  • 【確認済み】NISTは2024年8月にFIPS 203、204、205の3つのPQC標準を確定しています。
  • 【確認済み】英国NCSCは2028年までの暗号資産棚卸しと計画策定、2031年までの高優先システム移行、2035年までの全面移行を目標としています。
  • 【確認済み】日本政府も政府機関等のPQC移行を原則2035年までに行うことを目標としています。
  • 【確認済み】日本は2026年度に政府機関等のPQC移行ロードマップを策定する方針です。
  • 【確認済み】経済産業省は産業界向けのクリプトインベントリ実証を開始し、2027年春ごろにPQC移行ガイドラインを公表する予定です。
  • 【確認済み】CRYPTRECは2026年3月30日、ML-KEMを電子政府推奨暗号リストのPQCリストへ追加しました。
  • 【注意】G7文書は「現在の公開鍵暗号がすでに量子コンピュータで破られている」と発表したものではありません。
項目 内容
公表日 2026年9月3日
公表主体 CISA、G7 Cyber Security Working Group
文書名 Preparing for the Post-Quantum Era: A Call to Action
主な対象 政府、公共機関、民間企業
主な脅威 将来の量子計算機による公開鍵暗号の危殆化
現在のリスク Harvest Now, Decrypt Later
推奨アプローチ 段階的・リスクベースのPQC移行
最初の作業 暗号資産の棚卸し、重要システム・依存関係の把握
調達 PQC対応や暗号アジリティを調達要件へ組み込む
サプライチェーン ベンダーのPQCロードマップを確認
米国標準 NIST FIPS 203、204、205
英国目標 2035年までにPQC移行完了
日本政府目標 原則2035年までに政府機関等のPQC移行
日本の2026年度施策 政府ロードマップ策定、産業界のクリプトインベントリ実証
日本の暗号リスト ML-KEMを2026年3月に電子政府推奨暗号へ追加

G7、「量子コンピュータ完成まで対策を待たない」よう要請

CISAとG7 Cyber Security Working Groupは、量子コンピュータが現在の公開鍵暗号を実用的に破れる時期について、正確な予測はできないとしています。

それでも移行を開始する必要がある理由は、企業や政府のシステムで暗号が広範囲に使われ、置き換えに長期間を要するためです。

公開鍵暗号は、Web通信だけでなく、VPN、SSH、PKI、デジタル署名、認証、ソフトウェア更新、S/MIME、クラウドサービスなど多くのシステムへ組み込まれています。

G7の実務ガイダンスでは、PQC移行は単純に「RSAを新しいアルゴリズムへ交換する」作業ではなく、組織全体のシステム、機器、クラウド、ソフトウェア、取引先まで含めた長期プロジェクトになるとしています。

民間企業のPQC移行は2030年代に完了することが想定されており、早期に計画的な移行を始めることで、費用と業務への影響を抑えやすくなると説明しています。

「Harvest Now, Decrypt Later」は現在から始まるリスク

今回の文書で強く意識されているのが「Harvest Now, Decrypt Later(HNDL)」です。

これは、攻撃者が現在は解読できない暗号化通信や暗号化データを収集して保存し、将来CRQCを利用できるようになった段階で解読するという考え方です。

そのため、量子コンピュータが現在のRSAや楕円曲線暗号をまだ実用的に破れないことだけを理由に、対応を先送りすることはできません。

特にリスクが高いのは、長期間にわたって機密性を維持する必要があるデータです。

G7は例として、政府データ、機微な個人情報、企業・営業秘密などを挙げています。

たとえば10年間秘匿する必要がある情報を現在送受信している場合、数年後に量子計算能力が実用化され、その時点で過去に収集された暗号化データが復号できるようになれば、現在の暗号強度だけでは長期機密性を保証できない可能性があります。

量子攻撃は「データを読む」だけではない

量子コンピュータによって問題になるのは、暗号化データの機密性だけではありません。

公開鍵暗号はデジタル署名や認証にも利用されています。

G7とカナダCyber Centreは、量子攻撃によって認証機構が損なわれた場合、攻撃者が信頼された主体になりすましたり、データを偽造したり、安全な通信の信頼性を損なったりする可能性があると警告しています。

影響対象には、Webサイトのサーバー証明書だけでなく、ソフトウェア・ファームウェアの署名、電子文書の署名、端末認証、VPN、ID基盤なども含まれます。

特にファームウェアや組み込み機器は利用期間が長く、暗号方式の変更が容易ではありません。

G7のガイダンスでも、長期間秘匿すべきデータとともに、ソフトウェア・ファームウェア更新の仕組みを優先度の高い移行対象として挙げています。

G7が示した5つの優先事項

9月3日の共同文書では、PQC移行を進めるための5つの優先事項を示しています。

1つ目は、量子関連のサイバーリスクとPQCの必要性について、政府・企業・利用者の認識を高めることです。

2つ目は、PQCの採用と利用を支援する国家レベルの移行戦略を整備することです。

3つ目は、量子安全技術の実用化に向けた研究開発を進めることです。

4つ目は、政府と民間企業の連携を強化し、知見、リソース、ベストプラクティスを共有することです。

5つ目は、PQCをサイバーセキュリティ要件や調達プロセスへ組み込むことです。

最後の「調達」は企業にとって特に重要です。

現在購入するネットワーク機器、クラウド、PKI、HSM、IoT・OT機器などが2030年代にも利用される可能性がある場合、将来PQCへ更新できるかどうかは製品選定時点で確認する必要があります。

最初に必要なのは「クリプトインベントリ」

G7の実務ガイダンスでは、PQC移行の初期作業として「Cryptographic inventory(クリプトインベントリ)」を重視しています。

これは、自社のどのシステム、アプリケーション、機器、通信、クラウドサービスで、どの暗号アルゴリズムや鍵長が利用されているかを整理した暗号資産の台帳です。

対象には、TLS、SSH、OAuth、OpenID Connect、SAML、IPsec、IKE、S/MIME、PGPなどが含まれます。

加えて、PKI、IAM、PAM、KMS、HSM、スマートカード、TPM、Secure Boot、ファームウェア署名なども確認対象です。

クラウドやSaaSでは利用企業が実装された暗号方式を直接確認できない場合があるため、クラウド事業者や製品ベンダーからロードマップ、認証、対応状況などを確認する必要があります。

G7は、CBOM(Cryptographic Bill of Materials)のような機械可読形式で暗号資産を管理することも推奨しています。

全システムを一斉移行せず、長期機密データから優先

G7は、PQCへの全面移行を一度に実施することは現実的ではないとして、リスクベースで優先順位を付けるよう求めています。

主な判断材料は、侵害された場合の被害、データを秘密にしておく必要がある期間、データへのアクセス容易性、システム移行に必要な時間です。

特にHNDLの対象となり得る長期機密データは優先度が高くなります。

また、PKIやOT、組み込み機器など、移行に数年単位の時間が必要なシステムも早期に着手する必要があります。

逆に、短期間で廃止予定のシステムや、扱う情報の機密性が低いシステムまで同じ優先度で移行する必要はありません。

PQC移行は暗号方式だけでなく、業務影響、更新サイクル、ベンダー対応、コストを含めて順序を決めるプロジェクトになります。

「暗号アジリティ」を調達時点から確保

G7がもう一つ重視しているのが「Cryptographic agility(暗号アジリティ)」です。

暗号アジリティとは、将来アルゴリズムの安全性や標準が変化した場合に、システム全体を作り直さず、暗号方式やパラメータを交換できる設計を指します。

PQCアルゴリズムへ一度移行すれば、その後何十年も変更不要になるとは限りません。

新しい暗号解析技術が登場したり、標準化されたアルゴリズムや推奨パラメータが変更されたりする可能性があります。

そのため、新たに導入するネットワーク機器、HSM、クラウド、ソフトウェア、組み込み機器では、「現在PQCに対応しているか」だけでなく「将来別の暗号方式へ更新できるか」を調達要件に含めることが重要です。

G7は、調達部門やベンダーリスク管理担当者をPQC移行チームへ参加させ、取引先の対応ロードマップを継続的に確認することを推奨しています。

NISTは2024年にML-KEMなど3標準を確定

PQCは研究段階だけの技術ではありません。

米国National Institute of Standards and Technology(NIST)は2024年8月13日、最初の主要PQC標準としてFIPS 203、204、205を正式に承認しました。

FIPS 203は鍵共有向けのML-KEMで、CRYSTALS-Kyberを基にしています。

FIPS 204はデジタル署名向けのML-DSAで、CRYSTALS-Dilithiumを基にしています。

FIPS 205はハッシュベース署名のSLH-DSAで、SPHINCS+を基にしています。

NISTは現在、組織にこれらの標準を利用した量子耐性暗号への移行を開始するよう求めています。

一方、PQCは新しい暗号方式であるため、実装品質、性能、相互運用性、サイドチャネル攻撃なども考慮する必要があります。

単にアルゴリズム名を設定へ追加するのではなく、標準化された実装とベンダーサポートを確認しながら移行することが重要です。

英国は2028年・2031年・2035年のロードマップ

英国National Cyber Security Centre(NCSC)は2025年3月、PQC移行の具体的なマイルストーンを公表しています。

2028年までに移行目標を定義し、暗号資産の全面的な棚卸しを実施して初期移行計画を作成します。

2031年までに高優先度のPQC移行を進め、全体の移行ロードマップを確定します。

2035年までには、原則としてすべてのシステム、サービス、製品のPQC移行を完了する目標です。

NCSCは、特に機密性の高い個人・業務データや重要通信・システムを優先するよう求めています。

各国で細かな期限は異なるものの、「2030年代前半から半ばまでに移行を完了する」という方向性は共通しつつあります。

日本政府も原則2035年までの移行を目標

日本政府もすでにPQCへの移行方針を明確にしています。

国家サイバー統括室は2025年11月、「政府機関等における耐量子計算機暗号(PQC)への移行について(中間とりまとめ)」を公表しました。

政府機関等について、原則として2035年までにPQCへの移行を行うことを目指し、2026年度に工程表(ロードマップ)を策定するとしています。

2025年12月に閣議決定されたサイバーセキュリティ戦略でも、この目標が明記されました。

2026年3月には関係府省庁連絡会議の幹事会で、CRYPTREC暗号リストのPQC対応、国内でのPQC実装・活用状況、ロードマップへ盛り込む事項などについて検討が行われています。

日本はG7 Cybersecurity Working Groupによる6月のPQC移行準備声明にも国家サイバー統括室(NCO)が共同発表主体として参加しています。

今回の9月3日のCall to Actionも、日本政府が進めている2035年目標と方向性を同じくするものです。

CRYPTRECはML-KEMを電子政府推奨暗号へ追加

国内の技術面でも具体的な移行準備が進んでいます。

CRYPTRECは2026年3月30日、「電子政府における調達のために参照すべき暗号のリスト」を更新し、鍵共有方式のML-KEMを「電子政府推奨暗号リスト」のPQCリストへ追加しました。

ML-KEMはNIST FIPS 203として標準化されている方式です。

一方、2026年3月時点のCRYPTRECのPQCリストでは、公開鍵署名についてはまだ方式が掲載されていません。

つまり、日本でもPQC対応は「すべての暗号方式の移行先が完全に固まった」という段階ではなく、評価・標準化・実装を進めながら段階的に移行するフェーズです。

CRYPTRECは2025年4月に「暗号技術ガイドライン(耐量子計算機暗号)2024年度版」を公開し、2025年度にはML-KEMの安全性評価やPQC移行に関する技術動向調査も実施しています。

経済産業省は企業の「暗号の棚卸し」を実証

民間企業についても動きが始まっています。

経済産業省は2026年度、産業界によるPQC移行を支援するため、クリプトインベントリ作成の実証事業を開始しています。

企業とベンダーが協力し、システムで使われている暗号を棚卸しした上で、移行優先順位を整理する取り組みです。

経産省はこの成果を基に、PQC移行の全体ステップ、クリプトインベントリ作成方法、実証事例、PQC対応製品情報などをまとめたガイドラインを2027年春ごろに公表する予定です。

これは今回G7が求めている「暗号資産の棚卸し」「依存関係の把握」「調達へのPQC統合」とほぼ同じ方向です。

国内企業にとっても、2035年はまだ先だから待つのではなく、まず暗号の利用状況を把握する段階に入ったといえます。

セキュリティ対策Labでは、政府が検討する重要インフラ向け統一基準にもPQC移行が盛り込まれていることを取り上げています。

関連記事:政府、重要インフラ向けサイバー攻撃 対策を統一へ 「サイバー保険」報道と約150項目のガイドライン案を整理

情報システム・セキュリティ部門への示唆

企業が今すぐ行うべきことは、すべてのシステムをPQCへ一斉に置き換えることではありません。

最初に必要なのは「どこで暗号を使っているのか」を説明できる状態にすることです。

TLS証明書、VPN、SSH、PKI、SAML、OAuth、コード署名、ファームウェア署名、HSM、クラウド、バックアップ、SaaSなどを対象に、利用中のアルゴリズム、鍵長、証明書、用途、保護対象データ、ベンダー、更新期限などを整理する必要があります。

次に、データの機密性と保存期間を確認します。

10年、20年後にも秘匿が必要な情報は、HNDLを前提として優先順位を高く設定する必要があります。

さらに、現在契約しているクラウドやセキュリティ製品のベンダーへ、PQC対応時期、ML-KEMなどへの対応、ハイブリッド方式の提供予定、既存機器をソフトウェア更新で対応できるか、ハードウェア交換が必要かを確認します。

新規調達では、PQC対応そのものに加えて暗号アジリティを評価項目に含めることが重要です。

G7の文書は、PQCを暗号担当者だけの技術課題とは位置付けていません。

経営層、CISO、システム部門、開発、ネットワーク、法務・コンプライアンス、調達、財務、ベンダー管理を含めた組織横断プロジェクトとして進めることを求めています。

日本政府も2035年を移行目標とし、経産省はクリプトインベントリを企業の第一歩として位置付けています。

企業にとって2026年時点のPQC対応は「量子コンピュータが完成したら暗号を変える」ことではなく、暗号資産の棚卸し、長期機密データの特定、ベンダーの移行計画確認、次回更新・調達へのPQC要件の組み込みを始めることです。

出典