毎年ほぼ同じ時期に、見覚えのある文面の標的型攻撃メール訓練が社内に届いていないでしょうか。宅配便の不在通知、経費精算の督促、取引先を装った請求書。多くの企業がこうした定番シナリオを使い回している一方で、実際の攻撃者はすでに生成AIを使い、業界用語や社内の言い回しまで再現したメールを日次で作り替えています。この記事では、米国CISA、英国NCSC、イスラエルINCDという3カ国の公的機関がそれぞれ示している見解をもとに、訓練ツールが今どこまで攻撃の変化に追随できているかを見分けるポイントを整理します。
なぜ「昨年のテンプレート」ではもう通用しないのか
- 米国CISAは、生成AIの普及により文法や綴りの誤りといった従来の見分け方が機能しなくなりつつあると注意喚起しています。
- 米FBIのインターネット犯罪苦情センター(IC3)による2024年の報告では、フィッシングが報告件数トップの犯罪類型となり、19万3407件の苦情が寄せられています。
- 英国NCSCは公式ガイダンスの中で、フィッシング訓練を含むどの訓練パッケージも、すべてのフィッシングメールを見抜けるようにはならないと明言しています。
- イスラエルINCDは2025年に31,657件のフィッシング攻撃に対応しており、前年比で7倍に増加したと公表しています。
- INCDの局長は、新世代のAIモデルの登場によりサイバー攻撃が人間の速度から機械の速度へと転換していると警鐘を鳴らしています。
- これら3カ国の指摘に共通するのは、静的なテンプレートに依存した訓練では、攻撃の変化速度に追いつけないという点です。
整理表——米国・英国・イスラエル公的機関の指摘
| 国・機関 | 主な指摘 | 訓練ツール選定への示唆 |
|---|---|---|
| 米国CISA(サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁) | 生成AIの普及で文法・綴りの誤りという従来の識別手がかりが機能しなくなりつつある | 誤字脱字前提の古い訓練シナリオでは検知精度が測れない |
| 米国CISA・NSA・FBI・MS-ISAC(共同ガイダンス) | フィッシング攻撃の手口を体系化し、ネットワーク防御側への技術的対策を提示 | 訓練は技術的対策・プロセス・人の教育を組み合わせた多層防御の一部と位置づけるべき |
| 英国NCSC | どの訓練パッケージもすべてのフィッシングメールを見抜けるようにはならないと明言 | 訓練の完了率や開封率だけを効果指標にしない設計が必要 |
| イスラエルINCD(国家サイバー局) | 2025年のフィッシング対応件数が前年比7倍の31,657件に増加 | 脅威の増加速度に合わせて訓練内容を更新する体制が必要 |
| イスラエルINCD局長 ヨッシー・カラディ氏 | 新世代AIモデルの登場でサイバー攻撃が人間の速度から機械の速度へ転換していると警鐘 | 年1回更新のシナリオでは機械速度の攻撃に追随できない |
米国CISAが示す「誤字脱字はもう通用しない」という現実
米国の公式フィッシング対策ガイダンスであるCISAの「Recognize and Report Phishing」では、これまで不自然な文法や綴りの誤りがフィッシングメールを見抜く手がかりとされてきたものの、生成AIの普及によってこの前提が崩れつつあると指摘されています。攻撃者は今や、文法的に完璧な文面を生成できるため、受信者は別の兆候に注意を向ける必要があるとされています。
あわせて、CISA・NSA・FBI・MS-ISACが共同で公開している「Phishing Guidance: Stopping the Attack Cycle at Phase One」では、フィッシングの攻撃サイクルを段階ごとに整理し、ネットワーク防御側が講じるべき技術的対策が示されています。訓練だけでなく、技術的な防御層と組み合わせて初めてフィッシング対策が機能するという考え方が、この共同ガイダンスの土台になっています。
CISAはさらに、FBIの2024年インターネット犯罪報告書を引用する形で、フィッシングが報告件数の多いサイバー犯罪の中で最上位にあり、19万3407件の苦情が寄せられたことを明らかにしています。これは、フィッシングが依然として組織への主要な侵入経路であり続けていることを示す数字です。
英国NCSCが指摘する「訓練だけでは防げない」構造的限界
英国のNational Cyber Security Centre(NCSC)が公開している組織向けガイダンス「Phishing attacks: defending your organisation」は、技術・運用・セキュリティ担当者を対象に、標準的な注意喚起にもとづく訓練教材が、一般的なフィッシングメールの一部を見抜く助けにはなっても、すべてのフィッシングメールを見抜けるようにはならないと明言しています。とりわけ、特定の個人や部署を狙うスピアフィッシングは、より見抜くことが難しいとされています。
この指摘が示しているのは、訓練の完了率や開封率の低下だけを効果指標にすることの限界です。NCSCのガイダンスは、攻撃者からユーザーへの到達を防ぐ層、ユーザーが不審なメールを識別・報告できるようにする層、検知されなかったフィッシングメールの影響を抑える層という複数の防御層を組み合わせることを推奨しており、訓練シナリオ単体で完結させない設計思想がうかがえます。
また、NCSCのトップページでは、組織がAIによる攻撃能力の高度化に備える必要があるという趣旨の記述もあり、訓練コンテンツについても、こうした攻撃の変化を前提にした更新が求められていることが読み取れます。
イスラエルINCDが警鐘を鳴らす「人間速度から機械速度への転換」
イスラエルの国家サイバー局(INCD)は、2025年に31,657件のフィッシング攻撃に対応したと公表しており、これは前年比で7倍の増加にあたります。同局が推奨するフィッシング対策には、不審なリンクをクリックしない、メッセージ内のリンクに個人情報を入力しないといった基本的な注意喚起に加え、公式窓口への通報体制の整備が含まれています。
INCD局長のヨッシー・カラディ氏は、経営層向けの発信の中で、新世代のAIモデルの登場によりサイバー攻撃が従来の人間の速度から機械の速度へと転換していると警鐘を鳴らしています。従来型の防御だけではもはや十分ではないとしたうえで、機械による攻撃には機械による防御で対抗する必要があると述べています。
この指摘を訓練ツールの文脈に置き換えると、年1回更新される静的なシナリオでは、日次・週次で更新される攻撃の変化速度に追いつけないという課題が浮かび上がります。攻撃者側がAIを使って攻撃コンテンツを生成する速度に対して、防御側の訓練シナリオが同じ速度で更新されていなければ、両者の間には構造的な遅れが生じ続けることになります。
3カ国の公的機関の指摘から見える、訓練ツールに求められる条件
米国・英国・イスラエルの公的機関の指摘を並べると、共通して浮かび上がる論点があります。それは、フィッシング訓練の効果は、シナリオがどれだけ現在の攻撃の実態に近いかによって大きく左右されるという点です。
昨年と同じテンプレートを使い続けている訓練は、CISAが指摘する誤字脱字前提の古い判断基準を従業員に教え続けていることになりかねません。NCSCが指摘するように、訓練だけで全てのフィッシングメールを見抜けるようにはならない以上、シナリオの精度そのものを継続的に引き上げていく必要があります。そしてINCDが指摘する機械速度の攻撃に対しては、年次更新のシナリオでは追随そのものが構造的に困難です。
訓練サービスをEラーニングと捉えるか、セキュリティツールと捉えるか
ここまで見てきた3カ国の指摘は、訓練サービスをどう位置づけるかという、より根本的な問いにもつながります。
多くの組織では、標的型攻撃メール訓練を年1回のEラーニングと同じ予算枠、同じ位置づけで扱っています。しかし、NCSCが指摘するように訓練だけですべてのフィッシングメールを見抜けるようにはならず、INCDが指摘するように攻撃が機械速度で更新され続けるのであれば、訓練を教育コンテンツの一種として捉えることには限界があります。
目安として、従業員数500人を超える組織では、標的型攻撃メール訓練をEラーニングではなく、EDRやSOC監視と並ぶセキュリティ対策そのものとして位置づけ、運用することが必要になります。組織の規模が大きくなるほど攻撃者にとっての侵入経路となり得る従業員数も増え、シナリオの精度や更新頻度が被害の発生確率に直結するためです。予算やKPIの設計段階から、教育予算ではなくセキュリティ予算の枠組みで訓練ツールを評価することが、今後の選定基準として重要になります。
訓練ツールを選ぶ際に確認すべき5つのポイント
以上の指摘を踏まえると、訓練ツールやサービスを選定・見直す際には、次の点を確認する価値があります。
| 確認ポイント | 確認する理由 |
|---|---|
| シナリオの更新頻度 | 年1回・四半期ごとの更新では、日次で変化する攻撃に追随できない |
| シナリオの情報源 | 汎用テンプレートの流用か、実際に観測された攻撃傾向にもとづくものかを確認する |
| ベンダーの脅威情報保有体制 | 自社でSOCを保有しているか、実際に観測したフィッシングメールのデータベースを持っているか |
| 効果測定の指標 | 開封率・完了率だけでなく、報告率や行動変化を測定できるか |
| 生成AI型メールへの対応 | 文法・語彙が自然な高精度シナリオを用意できているか |
| 多層防御との連携 | 訓練単体で完結せず、技術的対策やインシデント対応と組み合わせて設計されているか |
最新のシナリオに対応し続けるためには、ベンダー自身が自社でSOC(セキュリティオペレーションセンター)を保有しているか、実際に観測されたフィッシングメールを蓄積したデータベースを保持していることが実質的な条件になります。汎用テンプレートを定期的に入れ替えているだけのサービスと、日々の監視・検知から得られた実際の攻撃傾向をシナリオへ反映できるサービスとでは、CISA・NCSC・INCDが指摘する変化速度への追随力に大きな差が生まれます。ベンダー選定時にSOCの有無や脅威データベースの保有状況を確認する具体的な項目については、標的型攻撃メール訓練ツール/サービスの比較と選び方であわせてご確認ください。
情報システム部門が最初に確認すべきこと
すでに訓練ツールを導入している組織であれば、まず直近1年間で使用したシナリオの一覧を洗い出し、それぞれがいつ作成されたテンプレートかを確認することから始められます。もし大半のシナリオが1年以上前に作成されたものであれば、CISA・NCSC・INCDが指摘する変化速度に、自社の訓練が追いついていない可能性があります。
そのうえで、ベンダーに対しては、シナリオの更新頻度、更新の根拠となる脅威情報の情報源、開封率以外の効果測定指標の有無について、具体的に確認することをおすすめします。訓練ツール自体の比較検討にあたっては、標的型攻撃メール訓練ツール/サービスの比較と選び方で、確認すべき比較項目を詳しく解説しています。
また、開封してしまった従業員を一方的に責めるのではなく、なぜクリックしてしまうのかという心理的な要因を理解しておくことも、訓練設計の精度を高めるうえで役立ちます。この点については、フィッシングメールをクリックした社員は悪なのか?海外研究に見るフィッシング被害と心理トリガーの関係で詳しく解説しています。標的型攻撃そのものの基礎知識は、標的型攻撃とは?仕組みや手口、事例を解説を、教育施策全体の位置づけについてはセキュリティ教育とは?重要性・必要性や実施手順を解説をあわせてご覧ください。
出典
Recognize and Report Phishing——CISA
Phishing Guidance: Stopping the Attack Cycle at Phase One——CISA・NSA・FBI・MS-ISAC
Protect Government Services with Phishing Training——CISA(FBI 2024 Internet Crime Reportの引用元)
Phishing attacks: defending your organisation——英国NCSC
Cyber Directorate: 31K+ phishing attacks in 2025——イスラエルINCDの発表を報じた現地メディア
Israel warns CEOs: AI is lowering the barrier to cyberattacks——INCD局長ヨッシー・カラディ氏の発信を報じた現地メディア








