中国の党機関紙・研究機関、沖縄とバタン諸島の帰属に疑義 日比海洋境界交渉を巡るナラティブ戦を分析

インテリジェンス

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中国の党機関紙・研究機関、沖縄とバタン諸島の帰属に疑義 日比海洋境界交渉を巡るナラティブ戦を分析

中国の党機関紙や政府系・国有研究機関で、沖縄・琉球とフィリピン最北部のバタン諸島(Batanes)の帰属を揺さぶる論考が相次いでいます。

2026年5月28日に日本とフィリピンが排他的経済水域(EEZ)と大陸棚の境界画定に向けた正式交渉の開始を決めると、中国外務省は翌29日に反発し、6月1日には中国海警局が「日比の画定交渉への対応」と明記した台湾東方海域での巡航を実施しました。その後、6月23日の人民日報は1879年の琉球処分を国際法違反とする論考を掲載し、6月30日には中国の国有大学である曁南大学の研究会で「バタン諸島は台湾、中国に属する」とする主張が示されています。

ただし、公開情報上は重要な線引きがあります。中国政府が沖縄全体やバタン諸島について正式な領有権主張を出した事実は確認できません。現在確認できるのは、中国政府による台湾東方海域の海洋権益主張と、党機関紙、国営メディア、政府系・国有研究機関で展開される、より踏み込んだ歴史・法的ナラティブです。

本稿では、沖縄とバタン諸島を巡って中国側が展開する主張を一次情報から整理し、米国、英国、フィリピン、日本の公的資料と照合します。そのうえで、これをどこまで「認知戦」と評価できるのか、日本が何を準備すべきかをインテリジェンスの観点から検討します。

中国による沖縄・バタン諸島ナラティブのサマリー

  • 【確認済み】日本とフィリピンは2026年5月28日、UNCLOSなど国際法に基づき、EEZと大陸棚の境界画定に向けた正式交渉を開始することで合意しました。
  • 【確認済み】中国外務省は翌5月29日、交渉対象海域が台湾東方に位置するとして、中国のEEZ・大陸棚に関する権利を侵害すると反発しました。
  • 【確認済み】中国海警局は6月1日、台湾東方海域で巡航を実施し、「日比が海洋境界画定交渉を開始すると発表したことへの対応」と説明しました。
  • 【確認済み】6月23日の人民日報は、中国社会科学院日本研究所の研究者による論考を掲載し、1879年の琉球処分を国際法違反とし、琉球の戦後処理も未完だとする主張を展開しました。
  • 【確認済み】6月30日に曁南大学で開かれた研究会では、複数の研究者がバタン諸島について「台湾、中国に属する」と主張し、日比の海洋境界画定交渉を批判しました。
  • 【確認済み】7月15日の人民日報でも、フィリピンの領域を画定した条約群を根拠にバタン諸島のフィリピン帰属へ疑義を呈する論考が掲載されました。
  • 【確認済み】フィリピン外務省、国家安全保障顧問、国家歴史委員会は7月10日、中国側研究者の主張を明確に否定し、バタン諸島のフィリピン主権は確立済みとの立場を表明しました。
  • 【確認済み】米国の外交史料では、米政府は琉球について日本の「残存主権(residual sovereignty)」を認めており、1971年の沖縄返還協定で米国はサンフランシスコ平和条約3条上の権利・利益を日本へ返還しました。
  • 【確認できず】中国外務省など中国政府が、沖縄全体またはバタン諸島そのものについて正式な領有権を主張した公文書は、2026年8月20日時点で確認できませんでした。
  • 【確認できず】人民日報、研究機関、国営メディア、中国海警局の一連の発信・行動について、中央指導部が一つの作戦として個別に指示したことを示す公開資料は確認できませんでした。
  • 【評価】一方、日比の境界画定交渉への反発、台湾東方での海警巡航、沖縄・バタン諸島の帰属を曖昧化する論考が短期間に連続しており、「法的・歴史的な曖昧さを作り、日比連携の正統性を弱める」という戦略的効果は共通しています。
項目 沖縄・琉球 バタン諸島
主な発信主体 人民日報、中国社会科学院研究者、CGTN 人民日報、曁南大学などの研究者、環球時報系報道
中核ナラティブ 琉球処分は違法、戦後の主権処理は未確定、日本の「再軍事化」で住民が犠牲になる 1898年パリ条約の境界外、1900年条約の効力に疑義、台湾との地理・民族的連続性
中国政府の正式な領有権主張 確認できず 確認できず
中国政府の確認済み公式主張 台湾東方海域に中国のEEZ・大陸棚権益が存在すると主張 同じ海洋権益主張の文脈で日比境界交渉に反対
運用面の動き 台湾東方海域で中国海警局が巡航 日比境界交渉への対抗措置として同海域で巡航
戦略的重要性 先島諸島、在日米軍、自衛隊配備、台湾北東・東方への接続 バシー海峡、台湾南方、第1列島線、米比軍事協力
現時点の評価 正式な領土要求より「帰属の曖昧化」が先行 同様に学術・メディア上の主権論が先行

5月の日比合意から2カ月で何が起きたのか

現在のナラティブを理解するうえで、2026年5月28日以降の時系列は重要です。

日本とフィリピンは同日の首脳会談で、両国のEEZと大陸棚の境界画定について正式交渉を開始すると決めました。共同声明は、国連海洋法条約(UNCLOS)と関連する国際判例に基づき、「法的確実性を高める」ことを目的としています。

翌5月29日、中国外務省は交渉対象が台湾の東側に位置するとし、中国は国内法とUNCLOSに基づき同海域にEEZと大陸棚を有すると主張しました。日比の交渉は中国の権益を侵害し、「違法・無効」だとの立場です。

6月1日には、中国海警局が台湾東方海域で巡航を実施しました。中国海警局は、この行動について日比の境界画定交渉開始への対応であると明記しています。

その約3週間後の6月23日、人民日報は「琉球跨越百年的苦难与抗争」と題する論考を掲載しました。中国社会科学院日本研究所の唐永亮氏が、1879年の琉球処分は19世紀の国際法に反し、カイロ宣言の「日本が暴力と貪欲によって略取した地域から駆逐される」との原則は琉球にも適用されると論じています。

さらに6月30日には、曁南大学国際関係学院・華僑華人研究院などが参加する研究会で、バタン諸島の帰属がテーマとなりました。同大学の公表によると、研究者らは歴史、国際法、地理・民族的関係などを根拠に「バタン諸島は台湾、中国に属する」とする見解を示しています。

7月15日の人民日報は、フィリピン領域を定めた1898年パリ条約などを取り上げ、バタン諸島が条約上のフィリピン領域外だとする論考を掲載しました。翌16日には曁南大学のニュースページに、研究者が中国によるバタン諸島への主権主張や海警巡航などを提言した環球時報系の記事が転載されています。

時系列だけで中央による一元的な作戦指示を立証することはできません。ただし、「日比の境界画定」への外交的反発から、「海警による存在の可視化」「沖縄とバタン諸島の歴史・法的帰属を揺さぶる言説」へと論点が拡大したことは確認できます。

沖縄で展開されるナラティブ 「違法な併合」「未確定の主権」「住民の犠牲」

中国側の沖縄・琉球に関する発信には、大きく3つの要素があります。

1つ目は、1879年の琉球処分を「違法な併合」と位置付ける歴史・法的ナラティブです。

人民日報の6月23日論考は、琉球王国が独立国家だったこと、日本が条約による主権移転を経ずに琉球を併合したことなどを強調し、琉球処分は当時の国際法に反したと主張します。

2つ目は、第二次世界大戦後も琉球の主権は最終確定していないとするナラティブです。

中国国営放送CGTNは2025年11月に「The undetermined status of Ryukyu」と題した番組を公開し、2026年4月にも同様の論考を掲載しました。そこでは、サンフランシスコ平和条約や1971年の沖縄返還協定は米国から日本へ「施政権」を移しただけで、主権問題は解決していないとする見方が示されています。

3つ目は、沖縄の基地負担、先島諸島への自衛隊配備、住民の歴史認識を「日本による再軍事化」「琉球住民の犠牲」という物語に接続するナラティブです。

この3つを組み合わせることで、「沖縄は歴史的に日本固有の領土ではない」「戦後処理も未確定である」「現在も日本政府と米軍によって住民が犠牲にされている」という一つの連続したストーリーが形成されます。

セキュリティ対策Labでは2026年3月、CGTNの「The Undetermined Status of Ryukyu」を分析し、こうした発信が沖縄の自己決定、基地負担、歴史認識を組み合わせて日本政府への不信を増幅する構造を持つと指摘しました。

今回の人民日報による論考は、この論点が国際放送だけでなく、中国共産党機関紙と政府系研究機関の研究者による歴史・国際法の言説へ広がっている点で注目されます。

ただし、前回記事で指摘したウクライナ東部を巡るロシアのナラティブとの構造的な類似性は、あくまで認知戦のパターン比較です。現在の公開情報から、中国が沖縄への軍事介入を準備している、あるいは「沖縄独立」を公式政策として採用していると判断する根拠はありません。

米国の公文書では「日本の残存主権」を確認 SCAPIN-677にも留保条項

人民日報などの「琉球の主権は未確定」とする主張には、戦後史料上の重要な反証があります。

米国務省の外交史料によると、米政府は1950年代に、琉球諸島について日本が「残存主権(residual sovereignty)」を有するとの立場を公式に示していました。1956年の外交文書では、ジョン・フォスター・ダレス国務長官がサンフランシスコ講和会議で示した概念を引き継ぎ、日本の残存主権を認めたと記録されています。

1971年の沖縄返還協定では、米国がサンフランシスコ平和条約3条に基づく琉球・大東諸島に関するすべての権利・利益を放棄し、日本が行政・立法・司法の全権限を引き受けることが定められました。

また、中国側の論考で日本から琉球を分離した根拠として引用されることがある連合国軍最高司令官指令SCAPIN-677にも注意が必要です。

同指令は日本政府の行政権の範囲を暫定的に定めたものですが、第6項は、この指令をポツダム宣言8項にいう島嶼の「最終的決定」に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならないと明記しています。

つまり、SCAPIN-677をそのまま「連合国が琉球を日本領ではないと最終決定した文書」と位置付けることは、指令自身の留保条項と整合しません。

バタン諸島で展開されるナラティブ 「20度線」「台湾との連続性」「戦後の占有」

バタン諸島について、中国側研究者が用いる論点は沖縄とは異なります。

中心となるのが1898年の米西戦争後に締結されたパリ条約です。同条約はフィリピン諸島の領域を緯度・経度で示しており、中国側研究者は、北緯20度より北側にある一部島嶼がその境界外に位置すると指摘します。

曁南大学で6月30日に開かれた研究会では、これを根拠にバタン諸島はフィリピンへ合法的に移転されていないとの主張が示されました。

さらに、台湾とバタン諸島が同じ島弧に位置すること、バタン諸島のイヴァタン人と台湾原住民族に文化・民族的な関係があること、中国の明・清代の資料に島々への認識があったことなどを組み合わせ、「台湾の自然な延長」「中国との歴史的関係」という説明を構築しています。

7月15日の人民日報論考では、フィリピンの領域を画定した条約を再解釈し、バタン諸島は第二次世界大戦後の力の空白の中でフィリピンが占有したとの主張まで示されました。

この論法の特徴は、現在の行政支配だけを争うのではなく、「そもそもフィリピンが主権を取得した法的根拠が存在しない」という原点から疑義を作る点にあります。

米比の公的資料は「1898年の境界外=フィリピン領ではない」を否定

中国側の主張で弱点となるのが、1900年の米西間のワシントン条約です。

米国務省歴史局が公開する条約本文では、スペインは1898年パリ条約3条に記載された線の外側にあっても、「フィリピン諸島に属するすべての島」に対する権原・権原請求を米国へ放棄するとしています。

つまり、1898年のパリ条約で描かれた線だけを取り出し、「線の外側にあるからフィリピン領ではない」とする説明では、その後の1900年条約を十分に説明できません。

フィリピン国家歴史委員会(NHCP)も2026年7月10日、中国側研究者の主張に反論しました。

NHCPは、スペインが1783年にバタン諸島を正式に領有しカガヤンの行政下へ組み込み、その後フィリピンの法的前身が継続的に主権を行使してきたと説明しています。1899年のマロロス議会や、その後のフィリピン議会にもバタン諸島から代表が参加していたと指摘しました。

また、「台湾から地理的に連続している」という主張についても、地質・海洋上の連続性だけで国家主権が決まるわけではありません。領土主権と海洋権原は、実効的な国家統治、条約、国際法上の権原などを総合して判断されます。

フィリピンの共和国法3046号も、フィリピン領域の基線を定める際、1898年パリ条約だけでなく1900年ワシントン条約と1930年米英条約を明記しており、バタン諸島を含む北部島嶼を基線体系に組み込んでいます。

日比の海洋境界交渉そのものはUNCLOSが想定する手続き

中国側のもう一つの主張は、日本とフィリピンが二国間で境界画定交渉を始めること自体が中国の権益を侵害するというものです。

ただし、UNCLOS74条と83条は、向かい合う、または隣接する沿岸国のEEZと大陸棚の境界について、国際法に基づく合意によって衡平な解決を実現することを定めています。

日本とフィリピンも5月28日の共同声明で、UNCLOSと関連判例に従って交渉すると明記しています。

もちろん、最終的な境界線が第三国の正当な権利を害してよいという意味ではありません。三つ以上の沿岸国の権利主張が重なる海域では、二国間合意が第三国の権利を害さないよう留保する必要があります。

しかし、「第三国が権利を主張しているため二国間交渉を始めること自体が国際法違反」という命題は、UNCLOSの条文から自動的に導かれるものではありません。

この点は、中国側が「日比交渉の違法性」を強調する際、日本とフィリピンが何を合意し、何をまだ合意していないのかを分けて確認する必要があります。

なぜ沖縄とバタン諸島が同時に語られるのか

沖縄とバタン諸島は、歴史も法的地位も異なります。

それでも中国側の論考で両者が同じ時期に前景化する理由として、台湾を挟む地理と海洋戦略があります。

沖縄県の先島諸島は台湾の東から北東に位置し、フィリピンのバタン諸島は台湾の南側、ルソン海峡・バシー海峡に位置します。両地域は、台湾周辺から西太平洋へ抜ける海空域を考えるうえで重要な位置を占めます。

米海兵隊も2026年6月、フィリピン軍とのKAMANDAG 10でバタン諸島において「maritime key terrain security operations」を実施したと公表しています。日比両国も安全保障協力を強化しており、海洋境界画定は法的確実性だけでなく、台湾東方・南方における同盟・同志国の活動環境とも無関係ではありません。

この状況で、沖縄・先島諸島とバタン諸島の帰属や歴史的正統性に疑義を投げかけることは、少なくとも3つの効果を持ちます。

第一に、日比が境界画定の基点として扱う領土の正統性そのものに疑念を持ち込むことです。

第二に、日米、米比、日比の安全保障協力を「争われている領域を軍事化する行為」と再解釈する余地を作ることです。

第三に、中国海警局や中国軍の活動を「既存秩序への挑戦」ではなく「中国の権利を守る対応」と説明しやすくすることです。

この意味で、領土ナラティブと海洋法ナラティブ、実際の海警活動は別々の情報ではありますが、戦略的には相互補強する関係にあります。

これは「認知戦」なのか 確度を分けて評価する

中国側の一連の発信を分析する際、「中国政府が沖縄・バタン諸島の領有を準備している」と直ちに結論付けるのは適切ではありません。

公開情報から確認できる事実と、そこから導ける評価を分ける必要があります。

評価 確度 根拠
沖縄・バタン諸島の帰属に曖昧さを作る言説が中国の党機関紙・研究機関で拡大している 人民日報、CGTN、曁南大学など複数の一次資料
日比境界交渉への外交的反発と海警活動、歴史・法的ナラティブが戦略的に同じ方向を向いている 5月29日の中国外務省、6月1日の中国海警局、6~7月の党系・研究機関発信
沖縄の基地負担、歴史認識、自己決定を利用して日本国内の政治的分断を拡大する効果を狙っている CGTNや人民日報のフレーミングと、中国の情報戦に関する公的評価との整合
すべての論考や研究会が中国中央指導部による一元的な認知戦作戦として直接指示されている 低・未確認 公開された指令・作戦文書を確認できず
中国政府が近く沖縄またはバタン諸島への正式な領有権主張を行う 低・未確認 中国外務省による土地主権の正式主張を確認できず
これらのナラティブが軍事介入の直接的な事前準備である 低・未確認 公開情報だけでは立証できず

米国務省のGlobal Engagement Center(GEC)は、中国が国際情報環境を自国に有利な方向へ変えるため、宣伝、偽情報、検閲、メディアへの影響力など複数の手段を組み合わせていると評価してきました。

ただし、この一般的な評価だけを根拠に、今回の人民日報論考や研究会をすべて国家的な秘密作戦と断定することはできません。

より適切なのは、「帰属について争いがない、または国家間の正式な領土紛争として扱われていない地域に、歴史・法的な疑義を継続的に投入することで、将来の政策選択に利用可能な曖昧さを作る」と捉えることです。

フィリピンは「ナラティブ→主張→存在→威圧」の連鎖を警戒

フィリピン政府は中国側のバタン諸島論に迅速に反応しました。

フィリピン外務省は7月10日、バタン諸島に対するフィリピンの主権は「settled and not up for debate(確定しており、議論の対象ではない)」として、中国側研究者の主張を否定しました。

国家安全保障顧問も同日、「虚偽のナラティブを繰り返すことで、本来存在しない曖昧さを作ることができる」と警告しています。

同顧問の説明では、根拠の乏しいナラティブが反復されることで「主張」に変わり、その主張が海上・空域での「存在」を正当化し、存在が常態化すると「威圧」が正常化されるという連鎖を問題視しています。

フィリピン軍も、こうした言説を「情報領域におけるサラミ・スライシング」と表現しました。これはフィリピン側の公式評価であり、中国の意図が実証されたという意味ではありません。

一方で、日本にとって参考になるのは、フィリピンが外交当局だけでなく、国家安全保障当局、軍、国家歴史委員会を使い、それぞれ「外交」「安全保障」「歴史」の観点からほぼ同時に反論した点です。

ナラティブへの対処を外務省だけに任せず、専門分野ごとに一次資料を示して反証する体制は、日本にとっても重要です。

英国の対偽情報モデル 「すべてに反論しない」ことも対策

英国政府のGovernment Communication Serviceが公開する「RESIST 2 Counter-disinformation Toolkit」は、偽情報への対応を、単純なファクトチェックではなく継続的なリスク管理として整理しています。

重要なのは、すべての虚偽・誤解を生む情報に反応するのではなく、影響力、拡散状況、対象となる聴衆、行動への影響を評価したうえで対応を選ぶ点です。

英国政府が2026年7月に更新した「Wall of Beliefs」でも、対応は大きく、事前に正しい情報を広げる「proactive promotion」、必要な場合に反論する「reactive response」、拡散を避けるための「watch and wait」に分けられています。

沖縄を巡るナラティブでも、この考え方は有効です。

影響力の小さい投稿を政府が毎回否定すれば、逆に注目を集める可能性があります。一方、人民日報や中国外務省、海警局など発信主体の格が上がった場合、または英語・日本語・沖縄向けSNSで同一言説が急拡散した場合には、迅速な公的反証が必要になります。

日本がすべき対応 「否定」より先に事実を常設する

日本政府が優先すべきなのは、問題が大きくなってから「沖縄は日本領だ」と繰り返すことだけではありません。

第一に、沖縄・琉球を巡る戦後史料と国際法上の論点を、日本語、英語、中国語で常設公開する必要があります。

特に、SCAPIN-677第6項、米国が認めた日本の残存主権、サンフランシスコ平和条約3条、1971年沖縄返還協定を一つの時系列資料として整理すべきです。現在は外務省、外交史料館、米国務省などに資料が分散しており、断片的な引用に反論しにくい状態です。

第二に、日本とフィリピンで海洋境界画定に関する共同の法的説明を用意することです。

交渉がUNCLOS74条・83条に基づくこと、第三国の正当な権利を害さないこと、最終境界は交渉によって決まることを明示し、「日比が中国を排除して一方的に海を分割している」とする説明に事前に対応する必要があります。

第三に、ナラティブの「昇格」を監視する早期警戒指標を設定することです。

特に警戒すべき変化は以下です。

  • 中国外務省が「琉球の主権は未確定」などの表現を正式答弁へ採用する
  • 中国政府の公式地図・地名資料で沖縄や先島諸島を「係争地」として扱う
  • 中国政府がバタン諸島への主権を正式に主張する
  • 中国海警局が沖縄・先島諸島やバタン諸島を根拠にした管轄権行使を具体的座標付きで公表する
  • 中国が国連や国際機関へ、沖縄・バタン諸島の帰属を前提とする海洋権益文書を提出する
  • 「琉球独立」「自己決定」など同一テーマの多言語コンテンツが、中国国営メディア、外交アカウント、研究機関、インフルエンサー群で同時に拡散する

これらは将来の行動を断定する証拠ではなく、ナラティブが「研究者の主張」から「国家の政策」へ移行しているかを測る指標です。

第四に、沖縄の基地負担や地域の歴史認識を「外国勢力の影響」と一括りにしないことです。

沖縄の基地負担、住民の安全、自治、歴史認識を巡る議論は、日本社会に実在する正当な政治課題です。国内の異論を安易に「中国の認知戦」と扱えば、政府への信頼を損ない、むしろ外部から利用されやすい分断を生みます。

外国からの情報操作に強い社会を作るには、事実に基づく反証と同時に、外部勢力が利用しようとする実在の不満や制度上の問題に正面から対応する必要があります。

第五に、政府の対偽情報体制を「発信」だけでなく、一次資料の保存・検証インフラとして整備することです。

日本政府は国家安全保障局、内閣情報調査室、内閣広報室、国家サイバー統括室、外務省、防衛省などによる偽情報対策の連携体制を整えています。

ここに外交史料、地図、条約、行政史、海洋法、地域史の専門家を常設的に接続し、「どのナラティブに、どの一次資料で、誰が、どの言語で答えるか」を平時から決めておくべきです。

沖縄ナラティブで日本が避けるべき3つの失敗

1つ目は、中国側の研究者発言をそのまま「中国政府の領土要求」と報じることです。

現段階では、中国外務省の正式な立場と、人民日報や研究機関で展開される主張には差があります。この差を無視すると、相手の主張を実際以上に格上げし、結果として「沖縄の帰属は国家間で争われている」という印象を自ら作ることになります。

2つ目は、歴史的論争に感情的な反論だけで対応することです。

「沖縄は当然日本だ」という主張だけでは、海外の第三者に対する説明として不十分です。SCAPIN-677の留保条項、米国の残存主権認識、沖縄返還協定など、相手が引用する文書そのものを用いて説明する必要があります。

3つ目は、沖縄県民の政治的意見と外国の認知戦を混同することです。

基地反対、軍備への懸念、自己決定や地域アイデンティティに関する発言が存在すること自体は、外国の情報操作の証拠ではありません。外国勢力による組織的な介入を指摘する場合は、資金、指示、アカウント運用、コンテンツ配信経路など検証可能な証拠が必要です。

政府・自治体・企業のリスク管理部門への示唆

沖縄やバタン諸島を巡るナラティブは、外交・安全保障だけの問題ではありません。

台湾海峡や南西諸島で緊張が高まった場合、偽の政府文書、偽の避難情報、軍事活動に関する加工映像、自治体や報道機関になりすましたSNS投稿などが、既存の歴史・領土ナラティブと組み合わされる可能性があります。

自治体や重要インフラ事業者は、平時から公式情報の発信元を明確にし、Webサイト、SNS、メール、緊急速報など複数経路で同一情報を確認できる体制を整える必要があります。

企業のリスク管理部門も、台湾有事や南西諸島の緊張を想定したBCPで、物理的な物流・通信障害だけでなく「情報の信頼性が低下する状況」をシナリオに含めるべきです。

従業員向けには、SNS上の速報をそのまま業務判断へ使用しないこと、政府・自治体・通信事業者などの一次情報で確認すること、生成AIで作られた画像・音声・文書の真正性を検証する手順を整備する必要があります。

中国側の現在の動きで最も重要なのは、「中国が明日、沖縄やバタン諸島を正式に領有主張する」と予測することではありません。

警戒すべきなのは、これまで国家間の正式な領土問題として扱われてこなかった地域について、党機関紙、国営メディア、研究機関を通じて歴史的・法的な疑義が繰り返され、それが外交・海警活動の説明と接続していく過程です。

現段階を表現するなら、「領有権主張」よりも「帰属の曖昧化」が近いと考えられます。

日本に必要なのは、過剰反応でも無視でもありません。一次資料を常設し、どの段階でナラティブが政策へ昇格したのかを監視し、必要なときに国際社会へ短く、検証可能な事実を提示できる体制を作ることです。

出典

中国側の一次・準一次情報

日本・米国の公的資料

フィリピンの公的資料

英国・国際法関連資料

日本の偽情報・認知戦対策

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