標的型攻撃メール訓練、“誰が引っかかったか”だけを見てはいけない メール 次第で引っかかる割合は約17倍差

コラム・インタビュー

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標的型攻撃メール訓練、“誰が引っかかったか”だけを見てはいけない メール 次第で引っかかる割合は約17倍差

標的型攻撃メール訓練では、訓練メールをクリックした社員や認証情報を入力した社員を「高リスク」と評価し、個別訓練の対象にする方法があります。

同じ社員が繰り返し危険な操作を行うのであれば、個別に支援する意味はあります。実際、フィッシングへの反応には個人差があり、全員を同じリスクとして扱う必要はありません。

一方、一度のクリックや単純な個人スコアから「この社員は引っかかりやすい」と判断すると、別の要因を個人の弱さとして評価してしまう可能性があります。

UC San Diego、University of Chicago、UC San Diego Healthの研究者が、現役フルタイム従業員1万9,789人を8カ月間追跡した実環境研究では、模擬フィッシングメールをクリックした割合が、メールの内容によって1.82%から30.80%まで変動しました。単純な比率では約16.9倍です。

この数字が示しているのは、「引っかかりやすい社員はいない」ということではありません。

標的型攻撃メール訓練の結果には、社員側の要因だけでなく、メールの巧妙さ、業務との関連性、職種、訓練条件などが混ざっています。誰がクリックしたかを評価するなら、その前に「どの程度見抜きにくいメールだったのか」をそろえて見る必要があります。

標的型攻撃メール訓練と約17倍差のサマリー

  • UC San Diego Healthの現役フルタイム従業員1万9,789人を対象に、8カ月間の実環境研究が行われました。
  • 研究では10種類の模擬フィッシングメールが使用され、クリックした割合は1.82%から30.80%まで変動しました。
  • 30.80%÷1.82%は約16.9で、メールによって「引っかかる割合」に約17倍の差がありました。
  • この17倍はシナリオごとの平均値の比較です。同じ一人の社員がメールによって17倍変化したことを意味しません。
  • 研究では、8カ月間で56%の従業員が少なくとも1回クリックしました。
  • 25.9%は2回以上、9.8%は3回以上、3.5%は4回以上クリックしており、繰り返し危険な行動を取る層も確認されています。
  • 一方、研究者は、ある訓練でクリックしなかったことが将来の結果を強く予測するわけではないとしています。
  • 年次セキュリティ研修を最後に受けてからの期間と、その後の模擬フィッシングへの反応には有意な関連が確認されませんでした。
  • クリック直後に教育を表示する埋め込み型訓練は、対照群に比べ平均で1.7ポイント低いクリック率となりましたが、研究者は効果の大きさは小さいと評価しています。
  • 埋め込み型教育を正式に完了した割合は全体で24%にとどまり、75%超のセッションでは教育ページの滞在時間が1分未満でした。
  • NISTは「Phish Scale」を公開し、クリック率だけではなく訓練メール自体の見抜きにくさを評価する方法を示しています。
  • NISTの2026年の議論では、職務上大量のメールやリンクを扱う社員を単純に「クリックしやすい人」と評価する問題も指摘されています。
  • 個人別訓練を行う場合も、一度のクリックではなく、難易度をそろえた複数回の結果、認証情報入力、報告行動、職務上の事情を組み合わせて判断する必要があります。

UC San Diego Healthの研究概要

項目 内容
研究 Understanding the Efficacy of Phishing Training in Practice
対象 UC San Diego Healthの現役フルタイム従業員1万9,789人
期間 8カ月
模擬フィッシング 10種類
主な評価 メール内のリンクをクリックしたか
最も低かった割合 1.82%
最も高かった割合 30.80%
約16.9倍
期間中に1回以上クリック 56%、1万1,077人
2回以上 25.9%
3回以上 9.8%
4回以上 3.5%
年次研修との関係 最後に受講してからの期間とクリックの間に有意な関連なし
埋め込み型教育の効果 教育群は対照群より平均1.7ポイント低い
埋め込み型教育の完了率 24%

メールによって1.82%から30.80%まで変わった

研究では、10種類の模擬フィッシングメールが使用されました。

メールのテーマごとに、リンクをクリックした割合は次のように大きく異なっています。

模擬メールの内容 クリックした割合
Outlookパスワードに関する通知 1.82%
アカウントログインに関する通知 1.85%
福利厚生制度の年次申込・変更手続き 7.62%
Microsoftを装った共有文書 8.99%
医療関連のOneDrive共有 9.20%
DocuSignを装った文書確認 9.63%
建物の避難計画 10.33%
交通違反・駐車違反を装った通知 18.60%
ドレスコード変更 27.65%
休暇ポリシー変更 30.80%

最も低かった1.82%と、最も高かった30.80%を比べると約16.9倍です。

しかも、単純に「IT関連のメールは見抜けて、人事関連は見抜けない」という程度の違いではありません。

同じ福利厚生系でも、福利厚生制度の年次申込・変更手続きを装ったメールは7.62%だったのに対し、休暇ポリシーを装ったメールでは30.80%でした。

研究者は、この差を踏まえ、訓練効果を評価する際には、後から送ったメールが単に見抜きやすかっただけではないかなど、シナリオ差を統制する必要があるとしています。

なお、10種類すべてを同じ従業員が受信したわけではありません。研究では従業員をランダムなトラックへ分け、月ごとに異なる訓練メールを配信しています。したがって「同じ社員の引っかかりやすさが17倍変わった」という意味ではなく、同一組織で実施した各シナリオの平均結果に約17倍の開きがあった、と読む必要があります。

「引っかかりやすい社員」は存在する、ただし一度のクリックでは決められない

個人差を無視する必要はありません。

同研究では8カ月間に、1万9,789人のうち1万1,077人、56%が少なくとも一度は模擬フィッシングメールのリンクをクリックしています。

さらに25.9%が2回以上、9.8%が3回以上、3.5%が4回以上クリックしました。中にはすべての訓練でクリックした従業員もいました。

繰り返し危険な操作をする従業員を把握し、追加教育や技術的な保護を行うことには合理性があります。

ただし、ここから「一度クリックした社員=高リスク社員」とは言えません。

研究では、一回の訓練でクリックしなかったことも、その後の安全な行動を強く予測するものではないとしています。8カ月を通して見ると半数以上が一度はクリックしており、あるシナリオを見抜けた人が別のシナリオも必ず見抜けるわけではありません。

個人リスクを見るのであれば、一回の結果より、比較可能な条件で繰り返し同じ傾向が出ているかを見る必要があります。

「誰がクリックしたか」にはメールの難易度が混ざっている

クリック率には、少なくとも二つの要素が含まれます。

一つは従業員側の判断です。

もう一つは、そのメールがどれだけ見抜きにくかったかです。

例えば、訓練Aでクリック率20%、半年後の訓練Bで5%になった場合、数字だけを見れば「教育によって75%改善した」と説明できます。

しかし、Aが実際の業務と非常によく似た巧妙なメールで、Bが差出人や文章から容易に不審だと判断できるメールだった場合、その比較から従業員の能力向上を判断することはできません。

これは組織全体のクリック率だけでなく、個人スコアでも同じです。

難しいシナリオを多く受けた社員と、簡単なシナリオを多く受けた社員のクリック回数をそのまま比較すれば、「誰が高リスクか」というランキングそのものにシナリオ差が入り込みます。

セキュリティ対策Labの「標的型攻撃メール訓練の効果 測定方法-NIST Phish Scaleで難易度を客観的に評価」でも、クリック率をメール難易度と組み合わせて評価する方法を整理しています。

NISTはメール自体の「見抜きにくさ」を測るPhish Scaleを開発

NISTは、標的型攻撃メール訓練の結果をクリック率だけで評価する問題に対応するため、「NIST Phish Scale」を開発しています。

Phish Scaleは、訓練メールの人間にとっての見抜きにくさを評価する方法です。

つまり、10%の社員がクリックしたという結果だけを見るのではなく、その10%が「簡単なメールに対する10%」なのか、「非常に巧妙なメールに対する10%」なのかを区別します。

NISTは以前から、クリック率が低かった場合でも、メールがあまりに見抜きやすければ従業員の耐性が高いことを意味するとは限らないと説明しています。

これは学校の試験にも似ています。

平均点だけを比べても、試験問題の難易度が違えば学生の能力が上がったのかは判断できません。

標的型攻撃メール訓練も同様で、「クリックした人数」と「訓練メールの難易度」をセットで記録して初めて、結果を継続比較しやすくなります。

職種によって「リンクをクリックすること」が仕事の場合もある

個人スコアには、メール難易度だけでなく職務上の違いも影響します。

NISTが2026年に公開した「Beyond the Click: Experts Weigh in on the Phishing Training Debate」では、研究者と実務家が標的型攻撃メール訓練の評価方法を議論しています。

その中では、大量のメールを処理し、多数の外部関係者とやり取りし、リンクを開くこと自体が仕事の一部になっている従業員を、クリック回数だけで評価する問題が指摘されています。

営業、採用、人事、購買、カスタマーサポートなどは、知らない相手から届くメールを業務上確認しなければならない場合があります。

一方、メールをほとんど使わない職種では、同じクリック率でも攻撃への露出自体が違います。

「5回クリックした社員」と「1回しかクリックしていない社員」を比較するとき、受信した訓練数、シナリオの難易度、業務上リンクを開く頻度が異なれば、単純な回数だけではリスクを比較できません。

個人別評価を行うなら、部署・職務と訓練条件を一緒に見る必要があります。

年次研修を最近受けた社員ほど強い、とは確認されなかった

UC San Diego Healthの研究では、全従業員が年次セキュリティ研修の対象になっていました。

研究者は、研修を最近受けた社員ほど、その後の模擬フィッシングに引っかかりにくくなるかを分析しています。

しかし、最後に年次研修を受講してからの日数と、模擬フィッシングをクリックする可能性の間に統計的に有意な関係は確認されませんでした。

この結果だけから「セキュリティ教育は意味がない」と結論付けることはできません。

研究対象は特定組織の特定プログラムであり、すべての教育方式に一般化できるわけではありません。

一方、「研修を受けたから安全」「未受講だから高リスク」といった単純な社員分類にも限界があることは分かります。

教育の受講履歴は管理上必要ですが、それだけでは実際の業務行動を示しません。

クリック直後の教育も平均差は1.7ポイント

研究では、模擬フィッシングに引っかかった直後に教育コンテンツを表示する「埋め込み型フィッシング教育」も検証しています。

教育を受けたグループは、対照群よりその後のクリック可能性が統計モデル上9.5%低くなりました。

ただし、ここでいう9.5%はオッズの相対的な差です。

実際の集団全体で見たクリック率の絶対差は平均1.7ポイントでした。研究者も、統計的には有意でも改善幅は小さいと評価しています。

さらに、表示された教育を正式に完了した割合は全体で24%でした。

75%を超えるセッションでは教育ページの滞在時間が1分未満で、半数を超えるセッションは10秒以内に終了しています。

つまり、「クリックした社員へ自動的に教材を表示した」という事実と、「その社員が内容を学習し、次の行動が変わった」という結果も分けて見る必要があります。

個別最適化は否定しない、問題は「何を根拠に対象者を決めるか」

標的型攻撃メール訓練の結果から、リスクが高い社員へ追加教育を行う考え方自体に問題があるわけではありません。

全員へ同じ教材を繰り返すより、必要な人へ必要な支援を行う方が効率的な場合があります。

問題は、その対象者をどう決めるかです。

例えば、

「前回クリックしたから高リスク」

「クリック回数が多いから高リスク」

「社内ランキングのスコアが低いから高リスク」

だけでは、シナリオ難易度、職務、受信回数、訓練時期などの違いが残ります。

少なくとも、個人別の判断では次のように条件を分けて見る必要があります。

見る項目 確認する内容
訓練回数 一回の結果ではなく複数回で傾向が続いているか
メール難易度 比較対象のシナリオは同程度の難易度か
行動の深さ クリックだけか、認証情報入力やファイル実行まで進んだか
報告 不審メールを報告したか、どの程度早く報告したか
職務 外部メールやリンクを日常的に扱う職種か
改善 個別支援後に同程度の条件で行動が変わったか

この見方であれば、「社員を見つけるためのスコア」ではなく、「どの社員に、どの支援が必要か」を判断するデータとして訓練結果を利用できます。

2026年のNISTは「人ではなく、訓練と支援をテストする」と整理

2026年8月にNISTが公表したHuman-Centered Cybersecurityのコンセプトペーパーには、フィッシング訓練の目的を考える上で参考になる事例があります。

ある企業では、懲罰的なフィッシングシミュレーションを行った結果、従業員がメールへ対応すること自体を恐れる状態になりました。

そこで訓練の目的を、従業員本人を試験することから、教育や従業員を支える仕組みが機能しているかを確認することへ変更しています。

従業員が誤った行動をした場合も、「なぜ見抜けなかったのか」だけではなく、「どの支援が足りなかったのか」「現在の仕組みで安全な行動を取れたのか」を調べる考え方です。

NISTは同じ文書で、人を「weak link(弱い鎖)」として扱う従来の考え方は限定的で有害になり得るとも指摘しています。

セキュリティ対策Labの「NISTが『人を弱点とみなすセキュリティ対策』からの転換を提案-Human-Centered Cybersecurityとは」では、この人間中心のセキュリティ設計について詳しく解説しています。

「引っかかった割合」が下がっても教育効果とは限らない

標的型攻撃メール訓練では、前回20%だったクリック率が今回10%になれば、「半減した」という報告を作れます。

しかし、メールの難易度が違えば、その数字をそのまま教育効果にはできません。

NISTが2026年に公開したフィッシング訓練に関する議論でも、難しい訓練メールを先に送り、次に簡単なメールを送れば、教育の効果がなくてもクリック率を大きく下げられるという測定上の問題が挙げられています。

クリック率は無意味な指標ではありません。

実際に従業員がどう判断したかを観察できるため、受講完了率より行動に近い指標です。

ただし、単独で使うのではなく、メール難易度、ベースライン、報告率、認証情報入力率などを組み合わせる必要があります。

セキュリティ教育の効果をどの条件で「行動変容」と判断するかは、「セキュリティ教育の効果測定、何をもって『行動変容』とするか KPI・ベースライン・継続評価の考え方」で詳しく整理しています。

情報システム・セキュリティ部門への示唆

標的型攻撃メール訓練で、繰り返し危険な行動を取る従業員を把握することには意味があります。

しかし、目的を「引っかかりやすい社員を見つけること」に置くと、測定しやすいクリック回数だけが独り歩きしやすくなります。

実務では、まず訓練メールごとの難易度を記録します。

次に、同程度の難易度で複数回実施し、部署や職務などの条件も分けて結果を確認します。

個人を見る場合も、クリックだけではなく、認証情報を入力したか、ファイルを開いたか、不審メールとして報告したか、報告まで何分かかったかを確認します。

その上で、繰り返しリスクの高い行動が確認された従業員には個別教育を行います。

同時に、メールフィルタリング、フィッシング耐性のあるMFA、報告ボタン、ブラウザ保護など、社員が一度判断を誤っても侵害へ直結しない技術的な対策を組み合わせます。

標的型攻撃メール訓練は、誰が「弱いか」を決めるための試験ではありません。

UC San Diego Healthの研究では、同一組織でメールが変わるだけでクリックした割合に約17倍の開きがありました。この差を無視して個人をランキングすれば、メールの巧妙さまで社員のリスクとして採点することになります。

見るべきなのは、「誰が引っかかったか」だけではなく、「何に、どの条件で引っかかったのか」「その後どう行動したのか」「同じ条件で改善したのか」です。

個別最適化された教育を行う場合も、この測定設計ができて初めて、社員の選別ではなくリスク低減につなげられます。

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