中国外務省の郭嘉昆副報道局長は2026年9月30日の定例記者会見で、日本の安全保障政策を批判する中、高市早苗首相について「日本首相」「高市首相」などの肩書きを付けず、「高市早苗」と発言しました。
日本外務省は10月7日、中国側に対し「立場の違いがあっても、一国の指導者に対してしかるべき敬意を払うことは国際儀礼上、当然」と申し入れたことを明らかにしています。
中国側は、なぜ肩書きを外したのかについて公式な説明をしていません。このため「高市首相を意図的に格下げした」と断定することはできません。
一方、同じ郭報道官は2026年4月や6月には「日本首相高市早苗」と表現しており、9月30日の同じ会見でもロシアのプーチン大統領を「普京总统」と肩書き付きで呼んでいます。
米国、台湾、イスラエルの中国外交研究と合わせると、今回の表現変更は単なる言葉遣いではなく、中国が近年強めている「戦狼外交」「新型軍国主義」ナラティブの中で、日本政府に政治的な不快感を示し、国内外へ強硬姿勢を示す外交シグナルとして読む余地があります。
高市首相「呼び捨て」をめぐるサマリー
- 中国外務省の郭嘉昆副報道局長が2026年9月30日の会見で「高市早苗」と肩書きを付けずに発言
- 発言は小泉進次郎防衛相による核兵器・原子力潜水艦を巡る議論への質問に答える中で出た
- 中国側は同じ回答で日本を「再軍事化」「右翼勢力」と批判
- 日本外務省は10月7日、中国側へ「一国の指導者にしかるべき敬意を払うのは国際儀礼上当然」と申し入れ
- 同じ郭報道官は4月17日や6月26日には「日本首相高市早苗」と肩書きを付けていた
- 9月30日の同じ会見ではロシアのプーチン大統領を「普京总统」と呼んでおり、外国首脳の肩書きを一律省略していたわけではない
- 中国側は肩書きを外した意図を公式説明していない
- 米国の対中研究では、中国の「戦狼外交」は対外的な威圧だけでなく、国内の民族主義的支持を意識した強硬な発信として分析されている
- 台湾政府は2026年10月、中国が「新型軍国主義」という対日ナラティブを使い、日米同盟や台米関係の分断を狙っていると分析
- イスラエルの国家安全保障研究所(INSS)は、中国外交が習近平政権下でより攻撃的・対立的な表現へ変化したと分析
- 今回の「呼び捨て」だけで日中関係の断絶や軍事的エスカレーションを意味すると判断するのは適切ではない
中国外務省は「高市早苗」とだけ発言
問題となったのは、9月30日に行われた中国外務省の定例記者会見です。
記者から、日本の小泉進次郎防衛相が安全保障関連3文書の改定を巡り、核兵器や原子力潜水艦について「タブーなく、あらゆる選択肢を排除せず議論する」との趣旨の発言をしたことについて見解を問われました。
郭嘉昆副報道局長は回答の中で、
「高市早苗は今年2月に『非核三原則』の堅持を改めて表明した」
との趣旨を述べています。
中国語の原文は「高市早苗今年2月重申坚持『无核三原则』」で、「日本首相」や「高市首相」に相当する肩書きは付いていません。
続く発言では、小泉防衛相の発言を「狂言」と表現し、日本について、
- 右翼勢力の核保有意図
- 再軍事化
- 非核三原則の放棄
- 戦後国際秩序への挑戦
などを主張しました。
つまり、「高市早苗」という表現だけが単独で出たわけではなく、日本政府に対する強い批判を展開する文脈の中で使われています。
中国語に「さん」がないことと、首相の肩書きを外すことは別
中国語には日本語の「さん」にそのまま対応する敬称を常に付ける習慣はありません。
その意味では、「高市早苗」という姓名だけを見て、日本語の一般会話における「呼び捨て」と完全に同じものとして扱うのは正確ではありません。
今回、日本側が問題視したのは「さん」が付かなかったことではなく、一国の政府首脳について通常使われる「首相」という肩書きが外されたことです。
中国外務省の過去の発言を比較すると、この違いが分かります。
4月17日、同じ郭報道官は台湾海峡を通過した海上自衛隊艦艇について批判した際、
「日本首相高市早苗」
と発言しています。
6月26日の会見でも、
「日本首相高市早苗涉台错误言论」
と、首相の肩書きを付けています。
9月15日にも中国外務省は「日本首相高市早苗」と表現していました。
ところが9月30日は「高市早苗」のみでした。
さらに同日の会見では、ロシアのプーチン大統領について「普京总统」、習近平国家主席について「习近平主席」と肩書きを付けています。
このため、単に「中国語では外国人の肩書きを付けない」という説明だけでは整理しにくい表現変更です。
「意図的な格下げ」と断定はできないが、外交シグナルの可能性
外交では、誰にどの肩書きを使うか、会談の席次をどうするか、誰と会うか、声明で相手をどう呼ぶかも政治的メッセージになり得ます。
今回の場合、
- 同じ報道官が以前は「日本首相高市早苗」と呼んでいた
- 同じ会見でプーチン氏には大統領の肩書きを付けた
- 発言全体が日本への強い非難で構成されていた
という点から、肩書きの省略を意図的な外交上のシグナルとみる余地はあります。
考えられるメッセージは、
「中国が高市政権の安全保障政策を通常の政策対立ではなく、戦後秩序を脅かす存在として扱っている」
というものです。
ただし、中国外務省は「なぜ首相の肩書きを外したのか」を説明していません。
担当者の表現上の選択や原稿上の違いだった可能性を完全に排除する材料もありません。
このため、事実として言えるのは「従来と異なる表現が使われ、日本政府が外交儀礼上の問題として申し入れた」までです。
米国が分析する「戦狼外交」―強硬な言葉は国内向けでもある
米国では、中国外交官が批判に対して強い言葉で反応するスタイルを「Wolf Warrior Diplomacy(戦狼外交)」として分析してきました。
米国務省のGlobal Engagement Centerは、中国が国際的な情報環境を自国に有利な方向へ変えるため、
- プロパガンダ
- 検閲
- 圧力
- 情報操作
- 外国政府・企業・言論空間への影響
を組み合わせていると分析しています。
中国外交官のうち一部は、外国政府や批判者に対して特に対立的なメッセージを発信することで知られています。
米国のCSISも、中国の戦狼外交について、習近平政権の指示と国内世論・民族主義が外交官に強硬姿勢を取らせる要因になっていると分析しています。
この観点では、高市首相への肩書き省略が仮に意図的であった場合、受け手は日本政府だけではありません。
中国国内の聴衆に対しても、
「日本の安全保障政策に妥協しない」
「外国からの圧力に屈しない」
という強硬な姿勢を示す効果があります。
つまり戦狼外交は、外国政府へのメッセージであると同時に、中国国内向けの政治コミュニケーションでもあります。
高市政権への圧力は「呼び捨て」だけではない
米CSISは2026年、高市首相の台湾有事を巡る発言に中国が反発した後、中国側が、
- 外交的抗議
- 公開の強硬発言
- 中国国民への対日渡航警告
- 経済的圧力
などを組み合わせたと分析しています。
そのため、今回の肩書き省略を単独の出来事として見るより、中国が高市政権に対して継続している外交・情報・経済上の圧力の一部として見る方が、近年の中国外交のパターンには合います。
セキュリティ対策Labでは、中国が「旧敵国条項」を対日ナラティブに利用する動きでも、中国側が現在の日本の安全保障政策を「軍国主義」「再軍事化」と結び付けていることを整理しています。
台湾政府「新型軍国主義」ナラティブで日米同盟の分断を狙う
今回の発言を考える上で、直近の台湾政府の分析は参考になります。
台湾の大陸委員会は2026年10月2日、中国が米中首脳会談後の宣伝で、
- 中国と米国は第二次世界大戦で同盟国だった
- 現在の日本は「新型軍国主義」へ向かっている
- 日本の安全保障強化は戦後秩序への挑戦である
というナラティブを強調していると指摘しました。
台湾側は、その目的の一つとして、
「米日同盟と台米関係を分断すること」
を挙げています。
9月30日の中国外務省発言も、
- 東京裁判
- 日本軍国主義
- 戦後国際秩序
- 日本の核保有意図
- 再軍事化
という同じキーワードで構成されています。
これは偶然の単語の一致というより、中国政府が2026年を通じて使用している対日ナラティブと整合します。
セキュリティ対策Labでは、こうした国家によるナラティブ形成を含む認知戦の仕組みと各国の対応を整理しています。
中国の狙いは「日本の政策」だけでなく「日本の位置付け」を変えること
中国側の発信には、日本の個別政策に反対するだけではなく、日本そのものを国際社会でどう位置付けるかという争いがあります。
中国外務省は現在の日本を、
「普通の安全保障政策を見直す民主主義国家」
としてではなく、
「第二次世界大戦後の秩序を再び脅かす可能性がある旧敵国」
という枠組みで説明しようとしています。
このフレーミングが定着すれば、中国にとっては、
- 日本の防衛費増額
- 長射程ミサイル
- 台湾有事への関与
- 原子力潜水艦の検討
- 核抑止を巡る議論
- 防衛装備品輸出
などを「通常の国家安全保障政策」ではなく、「軍国主義復活」の証拠として説明しやすくなります。
肩書きの省略は、このナラティブの中で相手指導者への敬意を意図的に下げるシグナルとして機能する可能性があります。
イスラエルINSSも「攻撃的発言と処罰」を戦狼外交の特徴と分析
イスラエルの国家安全保障研究所(INSS)は、中国外交について、習近平政権下で従来よりも対立的・攻撃的な外交へ移行したと分析しています。
INSSが戦狼外交の特徴として挙げているのは、
- 他国への発言がより極端になる
- 中国への批判に攻撃的に反応する
- 中国の利益を害したと判断した国へ懲罰的措置を取る
- 外交官が対立を避けず、強い言葉を使う
といった点です。
INSSは同時に、この強硬な外交が中国国内の保守・民族主義層から支持される一方、海外では中国への警戒や反感を強める副作用もあると指摘しています。
今回の高市首相への表現変更も、特定の一語だけで評価するのではなく、こうした中国外交の強硬化の中で見る必要があります。
「呼び捨て」が意味する3つの可能性
中国側から意図の説明がないことを前提にすると、今回の表現には大きく3つの読み方があります。
1. 日本政府への不快感を示す外交シグナル
首相という肩書きを外すことで、正式な外交関係を断つほどではない一方、通常より低い敬意で扱う。
外交上の抗議より一段低い、言語による圧力として機能します。
2. 中国国内向けの強硬姿勢
高市政権は中国国内で、
- 台湾問題
- 靖国神社
- 防衛力強化
- 核抑止
- 日米同盟
などと結び付けて繰り返し批判されています。
首相を肩書きなしで呼ぶことは、中国国内の聴衆に「北京は日本に妥協していない」と示す効果があります。
3. 国際社会向けの「日本=軍国主義」フレーム強化
台湾政府が指摘するように、中国は「新型軍国主義」という表現を使い、日本の現在の安全保障政策を第二次世界大戦の歴史と結び付けています。
高市首相を通常の国家指導者として扱う敬称を外すことは、このフレームと親和性があります。
ただし、この3つはいずれも研究や過去の行動から考えられる解釈であり、今回の表現に関する中国政府の公式説明ではありません。
一方、中国は高市氏を「首相」として認識している
今回の「呼び捨て」から、
「中国が高市首相を日本の首相として認めていない」
と解釈するのは誤りです。
中国外務省は2026年を通じて公式記録の中で「日本首相高市早苗」「高市首相」と繰り返し記載しています。
政府間外交も継続しています。
したがって今回の表現は、国家承認や政権承認の問題ではありません。
むしろ、
「正式な首相であることは認識した上で、特定の場面で肩書きを外した」
という点に外交上の意味がある可能性があります。
小泉防衛相の発言も中国側の説明とは分けて確認する必要
中国外務省は9月30日、小泉防衛相が「核兵器と核潜水艦についてタブーなく議論する」と発言したことを強く批判しました。
一方、小泉防衛相は9月29日の防衛省会見で、自身の発言について、
「防衛政策に関する一般論として、国民の命と平和な暮らしを守るため、タブーなく、あらゆる選択肢を排除することなく議論する趣旨」
と説明しています。
また、核兵器による広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないとの認識は変わらないと述べ、安保3文書改定についても「何かを決め打ちした議論をするつもりはない」としています。
中国側はこの発言を「日本右翼勢力の核保有意図」「再軍事化」と位置付けていますが、日本政府側の説明とは大きく異なります。
この差そのものが、現在の日中間で展開されているナラティブ競争です。
今回の「呼び捨て」は軍事的エスカレーションの直接指標ではない
外交上の言葉遣いは、関係悪化のシグナルを測る材料の一つです。
ただし、今回の肩書き省略だけから、
- 中国が日本との外交関係を格下げする
- 高市政権との対話を拒否する
- 軍事行動が近い
- 日中関係が断絶する
と判断できる情報はありません。
見るべきなのは、言葉だけでなく、
- 首脳・外相級会談の有無
- 大使の召還
- 制裁措置
- 貿易・渡航規制
- 軍事活動
- 中国政府・国営メディアでのナラティブの統一
- 日本国内の特定勢力との選択的な接触
などが連動して変化するかです。
中国が「誰に会い、誰に会わないか」を政治的シグナルとして使う可能性については、中国による選択的な対日接触と影響力行使でも整理しています。
今回の「呼び捨て」は、単なるマナー違反として終わらせるより、中国が展開する対日ナラティブ、戦狼外交、外交的威圧を観察する一つのシグナルとして位置付けるのが適切です。
出典
- 2026年9月30日外交部发言人郭嘉昆主持例行记者会 – 中華人民共和国外交部
- 2026年4月17日外交部发言人郭嘉昆主持例行记者会 – 中華人民共和国外交部
- 2026年6月26日外交部发言人郭嘉昆主持例行记者会 – 中華人民共和国外交部
- 北村外務報道官会見記録(令和8年10月7日) – 外務省
- 防衛大臣記者会見(令和8年9月29日) – 防衛省
- How the People’s Republic of China Seeks to Reshape the Global Information Environment – U.S. Department of State
- Takaichi Landslide Shows Limits of Chinese Economic Coercion – Center for Strategic and International Studies (CSIS)
- 陸委會梁副主委批中共二戰史觀違背歷史事實,強調應防範中共藉「川習會」對台操作認知戰 – 中華民國大陸委員會
- The Roar of the Wolf Warriors: China’s Increasingly Aggressive Diplomacy – Institute for National Security Studies (INSS)
- China-US-Taiwan Relations Since 2016: Great Power Competition, Oppositional Policies, and Threat Diplomacy – Institute for National Security Studies (INSS)








